2024/02/23
迷宮作品群を解読するコンピレーション
「今、目の前の面白いことをなにかの手段だと考える人が多いでしょ? でも結局、人間って死ぬわけで。目的やコスパを突き詰めると虚しくなる。だから無目的で、いかに目の前のことに夢中になれるか?が重要で。音楽を作ることもそうで」。
これは雑談中のHyuの言葉。今作の、好奇心溢れるミュータントな作家性を表す至言かもしれない。
Hyuがアルバム『Inaudible Works 1994-2008』をリリースする。Hyuは、90年代の最後に竹村延和によって運営されたレーベル、Childiscからの2枚のアルバムで知られた大阪出身のアーティスト。今回、大阪のエム・レコードからリリースされる本作は、未発表の新曲と既発曲のリワークによって構成された全15曲(LP版は、はっぴいえんど「風をあつめて」のカバーを収録し全16曲)。
ポップもノイズもドローンも、とジャンル不問は当たり前。いわく「音楽の作り方も作りたい」。あらためて“エレクトロニック・ミュージック”と書いて、「遊び」の延長にある実験とひらめきの冒険だと読み替えてみたい。
Text : Yusuke Nakamura
ーー今作『Inaudible Works 1994-2008』、初期の楽曲はHyuさんが20代の頃に制作されたものですよね?
Hyu:一番古い曲は94年なので19歳の頃かな。
ーーそれ以前の音楽活動としてはバンドを組まれていたり?
Hyu:大学時代はスカムというかノイズのようなバンドをやってましたね。10人くらいのメンバーで。大名行列というバンド。(難波のライブハウス)BEARSに出たり。
ーーバンドは高校生の頃から?
Hyu:いや、高校はバレー部だったんで。当時、高校生がやる音楽ってボウイとかB’zで。自分とは合わない感じで。大学で軽音部に入るんですけど、そこでも音楽の話ができる人はいなくて。最初は孤独やったな(笑)。自分はエイフェックス・ツインとかを聴いてましたね。シンセが好きで。
ーーシンセサイザーに目覚めたのはどんなきっかけで?
Hyu:子どもの頃に親がYMOをリビングで流していたので興味を持って。シンセはどんな音でも作れる楽器だと教えてもらったけど、よく分からない謎の機械という感じで。
ーーよく分からない、というのは?
Hyu:子どもの頃は、YMOのような音楽も人が作っている、ってことがあんまり分かってなかったんですね。それから興味を持って、高2の時にバイトしてシンセを買って。大学時代はスカムのバンドをやりつつ、シンセを触って曲を作ったりしてました。
ーー今作『Inaudible Works 1994-2008』、アルバムとしては『Randam Walkers’s Delight』(2002年)以来のリリースとなります。きっかけはレーベル、エム・レコードからオファーがあって?
Hyu:そうですね。今になってそんなことがあるんだ、と驚きました。良い機会をいただきましたね。
ーー(同席していた)エム・レコードの江村さんは今回なぜHyuさんの作品をリリースしようと?
江村:ただ、リリースしたかったから。
Hyu:(笑)いい答えですね。山に登りたいから登るみたいな。
江村:(笑)Hyuさんのことは、Childiscからのアルバムやコンピ『Sortie』(1998年)で知って。
Hyu:(『Sortie』は)ビーイング系のレーベルからリリースされたコンピで。半野(喜弘)さんや和泉(希洋志)さんが入っていて。
ーーStyling Recordからのコンピレーションで、松岡成久さんやサイケアウツも収録されていますね。
Hyu:松岡さんは今なにをされているんでしょうか。気になりますね。
ーー今作『Inaudible Works 1994-2008』は既発曲と未発表曲が再構成された編集盤で、“未発表曲集とベスト盤の中間のような雰囲気”とセルフライナーノーツに書かれています。
Hyu:まぁ、供養みたいなもので(笑)。自分の昔の曲を自分で供養するような感じで。(未発表の楽曲は)大阪の実家に録り溜めていたDATが20本くらいあって、それを元に。
ーー再編集する際は懐かしい気持ちになったり?
Hyu:懐かしい、というより、もう忘れている曲も結構ありましたね。でも聴いていると、“ああ、こういうことを考えて作ってたな”と思い出したり。
ーー振り返ると、どんな考えで制作していましたか?
Hyu:まず強い目的意識があったわけではなくて。自分が作った音に、さらに音を足していったり。それをぐるぐると繰り返している感じですね。飽きたら終わり。自分のアイデアを試すように作っていたので、なにかの音楽を参照としていないですよね。
ーー始めから型に嵌らないものを、と?
Hyu:要はパーソナルなもので。音楽って何かしらの作り方があるんですよね。ロックならロックらしいコード進行があって、というような。レゲエが好きだからレゲエを作る、というような人は多いと思いますけど、そういう感じでは作ってない。
ーーヒップホップのトラックはまずビートから作る、のような?
Hyu:そうですね。そんなセオリー通りに音楽を作るのはつまらない、とずっと考えていて。
ーーライナーノーツには“音楽も作りたいが、音楽の作り方も作りたい”と。そう考えられたのはなぜでしょう?
Hyu:うーん、なんだろうな。音楽の裏にある法則自体を自分で作ってみたくて。自分なりの音楽理論、制作方法を追求していたような気がします。
ーーでは今作はHyuさんの当時の実験結果がまとめられた作品?
Hyu:そうですね。実験というと言葉は堅いけど、遊びと悪ふざけ(笑)の間くらいじゃないかな。(今作に収録された楽曲は)江村さんに選曲してもらったんですが、そのままだとすごく長くなってしまうので、短く編集して。それでやっと聴けるようなものになった感じで。それが良かったですね。
ーー今作は楽曲タイトルの付け方も特徴的ですね。1曲目は「五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ」。
Hyu:今回、既発の英語タイトルの曲も、新しく日本語のタイトルを付けてみました。『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という、ゲーデルの思想が一般向けに分かりやすく書かれた本があるんですが、それがまたよく分からない本で。面白いんですけど。「五度圏のゲーデル~」はゲーデルの再帰性に興味があって。
ーー音楽で再帰性を試みる?
Hyu:だいたいの音楽には中心となる調があって、転調しても最後には戻ってくる。でも、主たるキーがなくて、どのキーも同じ関係で、ずっーと周り続けていたらどうなるのか? シェーンベルクと同じような考え方かもしれませんが、十二音技法は自分としてはあんまり面白いとは思っていなくて。「五度圏のゲーデル~」は音楽として聴けるけど、よく聴けば変、というようなものを考えていて。バッハのフーガを自分なりに拡張してみた感じで。
ーー今作には、微分音や倍音に基づいて制作された楽曲も収録されています。「WigWig」や「ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ」は倍音に魅せられて?
Hyu:「WigWig」は倍音のファンクみたいな。「ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ」は倍音のドローンのような曲で。友達に20回くらいコーラスを歌ってもらって、そこにサインウェーブを入れたり、いろんな音を組み合わせて。倍音だけで作曲したらどうなるか?という試みで。ラ・モンテ・ヤングみたいなものかな。楽譜にしたら、Cの音がずーっと鳴っているだけ。虚無ですよ(笑)。「みなれぬものたち」は倍音と基音の区別を無くすと、どうなるのか?を試した曲ですね。
ーー「みなれぬものたち」(「INDiRECT」。1998年リリースのコンピレーション『Childisc Vol.2 AO』収録)は当時、ジム・オルークがをダビングして周りに配っていたという。
Hyu:勝手に配ってくれてたみたいですね。竹村さん経由で知ってくれたのかなと思いますね。
ーー「奇妙な雷竹の舞」はライナーノーツで“平均律を拡張、あるいは破壊したい”と。とはいえ“現代音楽みたいな辛気臭いのがイヤ、ポップで可愛い音楽が好き”と。この考え方はHyuさんの作曲の肝のような気がしますね。
Hyu:「奇妙な雷竹の舞」はチャールズ・アイヴズとかダリウス・ミヨーのような多調で、キーがCのものと、キーがAのものが一緒になっているんですね。例えば、CとC♯の間の音を使っているんですよね。多調なんだけど、少しずらしたものを使っていたり。そんなに複雑なことはやっていないんですけど、曲の中にもうひとつ曲があるみたいな。要は、倍音の曲も含めて、西洋の音楽のシステムでは採譜不可能なことをずっとやっているんですね。
ーーそれはエイフェックス・ツインのような、いわば奇妙だけれど美しい、そんな音楽からの影響でしょうか?
Hyu:エイフェックスからは、通常の音楽からかなり逸脱したことをやる遊び心というか、その姿勢に影響を受けましたね。どこまでも果てしなく、訳の分からんことをやってもいいんだ、という。音をそのまま模倣する気持ちはなかったですけどね。
ーーLP版には、はっぴいえんど「風をあつめて」のカバーも収録されています。
Hyu:単に細野さんが好きだったので作ってみたという感じですね。まぁ習作という感じで。
ーー「風をあつめて」と同じく、「Robotomy Man」「離散とグリッドのインベンション」はボーカロイドの元祖、と言えそうなVocalWriterのソフトが使用されています。
Hyu:初期のVocal Writerのぎこちなさがが面白くて。
ーー初期の人声合成技術の歪さや無感情な声の面白さ?
Hyu:そうですね。人間の脳って、人間検出機のような機能があって。例えば、風が吹いてなにかが揺れているだけなのに、そこに人の気配を感じ取ってしまうような。それはアニミズムの森羅万象に魂が宿る、というところにつながるのかもしれませんが。音もそうで基本波形にフィルターをかけただけで人の声に聞こえるのが面白くて。
ーーそれをひとつのアイデアとして?
Hyu:人間なのか、よく分からない声でポップスを作るとどうなるだろう?という試みで。今で言うとボカロPみたいな感じかもしれないですね。
ーー「どんな音でも二度くり返すと音楽に聞こえる」はタイトルが示唆的というかシニカルで。
Hyu:規則性が生まれて、脳が音楽と感じる。それが面白いなと。
ーーあと、某バンドへのボツになったリミックスを元にした楽曲も今作には収録されていますね。
Hyu:ノイズを入れたらボツに(笑)。分かってないな(笑)と。
ーーアートワークは虚木へず、という方の作品ですね。
Hyu:毎年、東京のいろんな美大が集まって行われる卒業展に友達と行ってるんですけど、そこで出合った方の作品ですね。
ーーイラストのコラージュのような? Hyuさんの音楽と共通しているようでもあります。
Hyu:自分で描いたパーツを貼り合わせて切り絵のように成り立ってる作品で。違うコンテクストのものがいろいろと混じっていて面白いなと。縮尺が違うものが入っていたり、色遣いも良いなと思って。漫画家の林田球が好きだったんですが、虚木さんも好きだったみたいで。『ドロヘドロ』という作品がNetflixでアニメ化した時はびっくりしましたけどね。
ーーあらためて、今作を聴いていると、インターネットがなかった時代の音楽への向き合い方が思い出されるようで。渾然一体というか、今思えば当たり前のクリエイティブというか。90年代の大阪ならでは、なのかもしれませんが。
Hyu:たしかに、あの時代の大阪は先カンブリア時代のような(笑)。むちゃくちゃでしたね。
ーーエレクトロニカという言葉でカテゴライズされる少し前の頃ですね。
Hyu:ジャンル名もそうですが、言葉は大雑把がゆえに機能するものなので、それが利点でもあるし、ダメなところでもある。ジャンル名が付いて単純化されると、こぼれ落ちていくものがあるわけで。
ーー混沌の豊かさというか。それが整備されフォーマット化すると途端にシラける?
Hyu:自分が作っていた頃はエレクトロニカという言葉はなかったし、もちろんそれを作ろうとも思っていなかったわけで。エレクトロニカというジャンルができてから、“エレクトロニカ”を作ろう、という人たちが入ってきて、急に面白くなくなってきた感じはありますね。
ーー言葉といえば、HyuさんはYouTubeで小説家の円城塔について語っていましたね。驚きました。
Hyu:円城塔はすごく好きで。技巧的な文体で変なこと書くので、訳が分からな過ぎて。SFと文芸を一緒にやってると言われてる。変わったものが好きな人には勧めるんですけど、みんな挫折してる。でも、なにを言っているのか?が理解できると面白くなってくる。突然、扉が開くように。一種の宇宙論というか。ぶっとんでて。ゲーデルと円城塔は再帰性というところでは一緒だと思ってます。
ーー今、その円城塔など、新たなアイデアやインスピレーションから音楽を作ろうとは?
Hyu:今は東京に住んでいて、周りに音楽を作る人が多い場所でもあるので、誰かとやってみたい気持ちもあります。自分ひとりでやっていると飽きがくる。自分でひとりでできることはいろいろやってみた、ということもあって。今作には、人と一緒にやってる曲もあるんですけど、やってるとすぐに終わってしまう(笑)。継続して誰かと音楽を作ることをやってみたいですけどね。
ーー今作にコメントを寄せている、Childiscのレーベルメイトsuppa micro panchopさんやグーテフォルクの西山豊乃さんとは現在も交流はありますか?
Hyu:会いますね。飲んだくれてるだけですけど(笑)。スッパさんはよくライブをやっているので。幡ヶ谷のForestlimitに見に行ったり。Forestlimit、いろんな人が来てて面白い空間ですね。
ーーでは今作をリリースしてライブをするような計画は?
Hyu:今作はライブで再現できないので、もしやるとしても誰かとぜんぜん違う形でやることになると思いますね。
Hyu – Inaudible Works 1994-2008
Label:エム・レコード
Release date:February 16 2024
CD版:https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689221
LP版:https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689112
Bandcamp:https://emrecords.bandcamp.com/album/inaudible-works-1994-2008
Side A
1. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
2. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
3. 茄夢 [4:58]
4. WigWig [4:44]
5. みなれぬものたち [3:22]
Side B
1. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
2. どんな音でも二度繰り返すと音楽に聞こえる [3:34]
Side C
1. Robotomy Mam [2:24]
2. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
3. 風をあつめて [2:39]
4. 猫屋オドレミ [6:36]
5. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]
Side D
1. ガムランに憧れて [5:34]
2. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
3. 1000万年後の子供たち [6:10]
4. 音の散逸構造 [6:00]
※LP版は、はっぴいえんどのカバー「風をあつめて」を収録し全15曲。
category:FEATURE
tags:Hyu
2024/01/17
迷宮作品群を解読するコンピレーション 90年代から00年代初頭にかけ、竹村延和のChildisc等から作品を発表した大阪出身のクリエイター、ジャンルの拘束から超越してきた謎の音楽家。Hyuの迷宮作品群を解読するコンピレーション作品『Inaudible Works 1994-2008』が〈エム・レコード〉よりリリースされる。 – Hyu(ヒウ)は「エレクトロニカ」という曖昧な言葉で括られてきた世紀末世代の音楽家の一員で、その実体はほとんど謎のままだった。しかし、彼の作品は多くの点で際立っており、微分音のユニークな探求、音楽テクノロジーを人間化する能力、軽快さと遊び心とコンセプチュアルな厳密さを併せもつ独特の創作物は、時間の風雪をものともしない。 本コレクション 『Inaudible Works 1994-2008』 は未発表曲と過去にリリースされた諸作の再編集版で構成され、新作とアーカイブの中間のような存在となっている。楽曲は多岐にわたり、微分音ドラムンテクノもどき、人声合成技術の疑似ロボ・ポップ、ヴォイスと発電機のドローン重奏、破砕し分裂したファンク、感覚過多のスイングするサンプルの集合体、サイン波を単子とする構想、常軌を逸した倍音の追求、文学にインスパイアされた無調ピアノ曲、自己言及性の極に生まれたJポップ……と目も眩むユニークな作品がひしめく。すべてが特徴的で知的、その多くに先見の明があり、ジャンルの拘束から超越している。こうしたHyuの音楽は魅力的で楽しいが、それは音楽を創造するだけでなく、音楽を創造する方法も創造したいという欲求に突き動かされている。この願望と探求心は本作のすべてに、そして彼の音楽全体の素晴らしさの中にはっきりと聴き取ることができる。 2LP版にははっぴいえんど「風をあつめて」のカヴァーをボーナス収録。本人による楽しく啓発的な解説も必読。装丁は虚木へずが担当。 「強烈なエクスペリメント、にもかかわらず堅苦しさとは無縁の自由奔放でキュートな魅力、まるでHyuさんの笑顔のようです。音楽が一人の中の絶え間ない相克と実験から生まれることに改めて気付かせてくれます。」―aus 「全国Hyuが世界中の人に聴かれないと困る協会に入っています。」 ―suppa micro panchop 「Hyuさん、おかえりなさい。 懐かしい未来の音がしたよ。 傑作。待ってた甲斐がありました。」 ―グーテフォルク/西山豊乃 Inaudible Works 1994-2008 Hyu アーティスト:Hyu アルバム題名:インオーディブル・ワークス 1994-2008 (Inaudible Works 1994-2008) フォーマット:CD / 2LP / Digital カタログ番号:EM1211CD/DLP/DL 制作発売元:エム・レコード (EM Records) 発売日:2024年2月16日(金) 装丁:虚木へず 解説:Hyu(日本語と英訳版を掲載) 2LP版: https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689112 CD版: https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689221 =2LP版仕様= + BioVinyl™ 使用 + DLカード付き + シュリンク封入+ステッカー =CD版仕様= + 12pブックレット封入、帯付 + 通常ジュエルケース Side A 1. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31] 2. 奇妙な雷竹の舞 [5:42] 3. 茄夢 [4:58] 4. WigWig [4:44] 5. みなれぬものたち [3:22] Side B 1. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28] 2. どんな音でも二度繰り返すと音楽に聞こえる [3:34] Side C 1. Robotomy Mam [2:24] 2. 離散とグリッドのインベンション [4:17] 3. 風をあつめて [2:39] 4. 猫屋オドレミ
2020/01/28
〈T4T LUV NRG〉のサイトにて公開 2011年に〈Not Not Fun〉のサブレーベル〈100% Silk〉からデビューしたOcto Octa。その後もマンハッタンのRed Bull Music Academyではレジデンシーを務め、ベルリンのPanorama Bar、フランクフルトのRobert Johnson、バルセロナのSonar Festivalなどにも出演を果たし、2018年にはMixmagの”The DJs Of The Year”を獲得。今年は〈Ninja Tune〉のサブレーベル〈Technicolour〉から作品をリリースしている。 昨年11月にはパートナーであり、DJ / プロデューサーのEris Drewと共に来日したOcto Octaが自身のレーベル〈T4T LUV NRG〉のサイトにて「ホームスタジオの作り方」を公開。パート1ではハードウェア中心のセットアップを、パート2ではDAW中心のセットアップを説明し、パート3ではそれらを踏まえた上で、実例としてOcto OctaとEris Drewのホームスタジオを公開し、セットされた機材も含めて説明している。ガイドブックは、GoogleドキュメントとPDF、2つのバージョンで公開。 link : http://www.t4tluvnrg.com/
2023/10/23
来日公演開催 KIRARAは2014年のEP『cts1』でデビュー以来、4作のフルアルバム、7作のEP、2作のリミックス・アルバムなどを発表している、韓国の電子音楽ミュージシャンだ。2016年に発表したアルバム『moves』は韓国大衆音楽賞の最優秀ダンス・エレクトロニック・アルバム賞を受賞、ペク・イェリンやIDIOTAPEを始め多数の人気アーティストからのリミックス・オファー、ロック・フェスへの出演など、そう規模が大きくはない韓国の電子音楽シーンにおいて、幅広いフィールドで活躍し、その名が知られている数少ないミュージシャンの一人である。 「KIRARAはきれいで、強いです。皆さんは踊ります」これはKIRARAのキャッチフレーズであり、アルバム『moves』、そしてKIRARAのライブの多くはこのナレーションで始まる。その言葉通りKIRARAの音楽はキラキラした音色も聞こえてくるし、メロディックでキャッチー、それでいながら爆発的なエネルギーも同居している個性的なものだ。 そして、その根源には日本のエレクトロ・ミュージックや渋谷系の音楽もあるというし、だからこそKIRARAは日本での活発なライブ活動を望み、何度もX(旧:ツイッター)でも実際に公言していた。11月初めにそんなKIRARAの4年半ぶりの来日公演が実現する。それに先立って、KIRARAが自身の音楽性、影響を受けて来た音楽、多様な活動についてインタビューに答えてくれた。 ちょうど筆者もインタビュー前日にKIRARAのライブを見ていたが、オーディエンスの盛り上がりもとにかく熱狂的で、それに応えてKIRARAもハードなバンガーもたくさん投入するし、そんな雰囲気を幸せそうに楽しんでいる姿が印象的だった。このインタビューにも出てくるKIRARAの思いや野望が、日本のファンやリスナーにも伝わることを願いたい。 文・取材:山本大地 ―KIRARAさんのキャッチフレーズである「きれいで強い」という言葉は、綺麗でメロディアスなサウンドと強いビートというKIRARAさんの音楽性の魅力の両面をうまく表現した言葉だと思うのですが、そういう部分を意識して作った言葉ですか? KIRARA:そうですね。例えば「このiPhoneは四角い」くらいに、自分の音楽をありのままに直感的に説明するために作った言葉です。 ―KIRARAさんの音楽は、「きれいで強い」音楽性に限らず、そのムードにも楽しいと、悲しい/寂しいという感情が混ざり合っている感じがします。元々音楽に限らずそういう相反するものを両方とも好きだったり、大事にするような性格だったのでしょうか? KIRARA:それは音楽についてだけだったと思います。もともと好きな音楽もメロディアスなハウス音楽でしたし。 ―今年も様々な活動をされて来ましたが、5月にはEP 『cts7』を出しましたね。今回のEPはどのようなテーマで作られたのでしょうか? KIRARA:過去4枚のフル・アルバムは、私の個人的な感情をテーマに発表してきました。時間が経ち、私が音楽の仕事をする時のアティチュードや心構えが変わるにつれて、人々がもっと軽く楽しんで笑ってくれるような音楽を作りたいと思うようになりました。政治的な意味合いがない音楽、気軽に聴ける音楽を作ってみたかった結果、『cts7』のような作品が出来ました。 ―今回のEPでは、タイトル曲の「Numbers 숫자」が特にインパクトがありますね。 KIRARA:「Numbers 숫자」は、シリアスじゃない音楽を作りたかった、その最初の試みでした。 それがうまくいったと思います。 ただ、みんなを楽しませたかったんです。 ―その「Numbers 숫자」のシンプルな作りや、数字を連呼するアイデアはどうやって生まれたんですか? KIRARA:Corneliusの「Count Five or Six」という曲から影響を受けました。あと、Kraftwerkにも「Numbers」という曲があります。好きなミュージシャンが数字を連呼するような音楽をやっていたので、それを真似してみたんです。 ―ここまで聞いて来た音楽や影響を受けた音楽について詳しく聞かせてください。中学生の頃、韓国で渋谷系と形容されていた音楽を見つけてハマったと聞いていますが、それ以前にも特段好きだったアーティストやジャンルがありましたか? KIRARA:特になかったと思います。私が初めて音楽を掘り下げて聞いたのがその、韓国で渋谷系と呼ばれていた音楽でした。本当にそこで渋谷系と言えるのはFantastic Plastic Machineくらいしかなかったと思うので、個人的には渋谷系という言葉を使ってもいいのかどうかわからないですが。当時、2004~2005年頃のに、FreeTempo、DAISHI DANCE、HARVARDみたいな日本のミュージシャンが韓国でたくさん聞かれていました。 ―当時、そのような音楽が韓国で多く消費された状況について、実際にそれを経験した立場からもう少し具体的に教えていただけますか? KIRARA:韓国に「サイワールド」というSNSがあり、そこで人々が自分のホームページを作り、そこにBGMを選曲して入れることができたのですが、m-floのmiss youという音楽が流行った記憶があります。また、韓国のCLAZZIQUAI PROJECTというアーティストが流行ったのですが、その音楽が日本の電子音楽から影響をたくさん受けた音楽で、人々が彼らを通して自然に日本の電子音楽に接し、それを渋谷系と呼び始めたのが2004年の頃だったと思います。私は子供の頃、その音楽を聴いて音楽家になることを夢見ていたのですが、いざ大人になってみると、その音楽は本当の渋谷系ではなく、単なる00年代の日本の電子音楽という表現が正しいと感じました。 *韓国では90年代の日本で”渋谷系”と形容された音楽も一部のマニア層によって伝えられていたが、それ以上にKIRARAの発言の通り00年代中盤に、”渋谷系”より後の時期の、バンドやエレクトロニック・ミュージシャンの作品が韓国で大衆的にも聞かれるほど人気を博し、それらの音楽を渋谷系と解釈する人が韓国では多い。音楽ナタリーに掲載された記事「渋谷系を掘り下げる Vol.11 韓国のポップミュージックへの影響 長谷川陽平が語る、もう1つの“渋谷系 https://natalie.mu/music/column/379009 」で詳しく解説されており、代表的な例としてHARVARDの「Clean & Dirty」であり、m-flo loves melody. & Ryoheiの「miss you」、Fantastic Plastic Machineの「Days and Days」、Nujabesの「Aruarian dance」が挙げられている。 ―そういう音楽のどんな部分に惹かれたのでしょうか? KIRARA:メロディアスなところに惹かれたんだと思います。日本のハウス系の音楽って、欧米のものに比べてメジャー(長調)で出来ているものが多くて、明るい情緒とか、希望に満ちた感じがありました。そういうところが私の情緒と合っていたんだと思います。 ―では少し話が戻りますが、当時好きだった音楽の根源の一つでもある日本の渋谷系というジャンルはいつ頃から聴き始めましたか? KIRARA:PIZZICATO FIVEやFlipper’s Guitarのような音楽を聴いて、渋谷系という言葉の本当の意味を知ったのは、19~20歳くらいになってからだと思います。 ―実際にコンピューターを使って音楽を作るようになったのはいつ頃ですか? KIRARA:14、15歳くらいの頃だったと思います。DAWを一人でパソコンにインストールして、あれこれ押してみて何かを作ってみたりして、それも「作品」だと思い込んで遊んでいました。でも、当時はそれが電子音楽だとは思っていなくて、当時リファレンスにしていたものが全部電子音楽というジャンルだったことに気づいたのは、大人になってからでした。 ―当時、インターネット上で電子音楽を作る人たちのコミュニティみたいなものがあったんでしょうか? KIRARA:インターネットにMIDIファイルを共有するサイトが一つあって、そこにあった自由掲示板に音楽を投稿すると、みんなに聴いてもらえたり、褒めてもらえたりしました。あの掲示板があったから、あの頃は音楽を続けられたと思います。 ―KIRARAさんの音楽のルーツには、今ここまで話してくれた音楽に加えて、90年代のビッグビートや、KIRARAさんもよく言及しているJusticのようなフランスのエレクトロ・ミュージックもあると思います。KIRARAさんの音楽の魅力は、リファレンスにしている音楽がどれも過去に流行ったジャンルであるにも関わらず、それらがノスタルジアとして昇華されるのではなく、今の時代の音楽、あるいは今、このライブハウス、クラブで楽しめる音楽としてうまく表現されていることだと思います。 KIRARA:私の音楽を新しいものだと言ってくれる人はすごく多いんですけど、実はそう思っていないんです。私は自分の音楽を、過去の好きな音楽とただ同じように作りたいと思っている人なんです。自分の音楽がどのような点で皆さんに新しく感じられるのか、僕自身も気になりますし、もっと人の話を聞いてみたいです。 ―同じように作りたいと思う背景には、その時代への憧れみたいな感情もあるんでしょうか? KIRARA:漠然とはあるんですが、それをちゃんとした憧れと言えるかどうかはよくわからないです。いつも音楽シーンについては、過去のものが今のものよりずっとかっこいいと思っています。 ―では、もう少し具体的に聞かせていただきます。KIRARAさんが影響を受けたアーティストを3組選んで、そのアーティストから何を学んだと思うか教えていただけますか? KIRARA:はっきり言えると思うんですけど、まず『Point』(Cornelius)というアルバム以降の小山田圭吾さんに作曲の仕方を教わったと思うんです。どんな音とどんな音がどんなタイミングで合わさるとそれがちゃんとした音楽として聞こえるようになるかを学んだと思います。 2組目は大沢伸一だと思います。大沢伸一は、その時々の流行りのジャンルを取り入れることが上手い人だと思います。特に『The One』というアルバムが好きなのですが、そのアルバムを通して自分の好きな音のトーンを見つけたと思います。彼のおかげで私がシンセサイザーやミキシング、マスタリングをするとき、自分の好きな音を見つけられるようになったと思います。 そして3組目はThe Chemical Brothersで、彼らのおかげで私がダンスミュージックを作る人だというアイデンティティを持つようになれたと思います。ダンスミュージックをする人のある種のスピリット、レイヴへの憧れを私にくれましたし、ダンスミュージックで長く活動を続けられるという希望も見せてくれています。彼ら独自のアート世界があるということでも尊敬しています。 ―The Chemical Brothersが教えてくれたスピリットとは具体的にどのようなものですか? KIRARA:私はパフォーマンスをするという行為は魂が込められているとてもスピリチュアルなものだと思うんです。The Chemical Brothersがそう気づかせてくれました。パフォーマンスや活動について、私がなぜ音楽をやるのかということをよく考えさせてくれたミュージシャンだと思います。 ―KIRARAさんにとっては、ライブ・パフォーマンスが他の電子音楽ジャンルのアーティストよりもとても重要な要素になっていると思います。 KIRARA:私は性格的に、人前で話すことがすごく得意で、好きだし、ステージに立つと本当に本能的に情熱的な人になるんです。だから、パフォーマンスは私の体質に合っていると思うんです。でも最近はたまに疑問を感じることもあります。2023年の音楽シーン、ビジネスを考えたときに、ライブ・パフォーマンスが重要なわけではないと思うんです。本当にたくさんのライブをして、それで評価されたり有名になる人よりも、インターネットで注目されるミュージシャンの方が重要な時代だと思うんです。 ―曲をヒットさせるのも、自分を知ってもらうのも、インターネット、特にSNSの影響力が大きい時代ですよね。 KIRARA:そうですね。でも、この点についていろいろ考えてみても、私はライブという行為が大好きなんです。私がライブをする理由は、ただ一つ、ライブが大好きだからです。The Chemical Brothersのようなミュージシャンを見て、ずっとこうしてやって行ってもいいんだろうなと思えるようになりました。 ―ちょうど昨日のライブ後にも、すごく盛り上がっていてお客さんの反応はすごく良かったのに「もっと上手くやれたと思う」という言葉を残していましたよね。KIRARAさんにとって、どのようにライブが出来れば100点だと思いますか? KIRARA:自分が準備した通りに完璧に演奏することだと思います。 まるでリズムゲームをするときに、100点満点を取るように、私も完璧に自分の意図した音を適材適所で演奏するパフォーマンスが最高だと思うんです。そして、自分とオーディエンス、ヴェニューの心構えが全部一致して、美しい風景を作り出すこと、それが一番理想的だと思います。でも、そんな完璧なパフォーマンスはないと思うんです。そんなパフォーマンスをやってみたいです。 ―KIRARAさんのパフォーマンスでは映像も重要な要素ですよね。先ほどのアーティストの影響もあるのでしょうか? KIRARA:たくさんあります。映像を取り入れようと思わせたのは、Corneliusのオーディオヴィジュアルでした。Corneliusはすごくライブを直接見たいし、DVDもたくさん持っています。私は自分の映像パフォーマンスをVJというよりも、オーディオヴィジュアルという言葉で表現したいんです。VJという作業は主に映像のテクスチャーを中心にした作業だと思うんですが、私はそれよりも、映像が音楽と同じタイミングで出て来て、抜けていく、そういうタイミング、シンクロを大事にしています。なので、私はそれを点・線・面・円・四角といった基本的な要素で、観客にカタルシスを与えるような実験をずっとずっと続けてきました。 ―では、先ほど挙げてくれた3組のミュージシャンからたくさんの影響を受けた中で、まだ自分では再現出来ていないと感じる部分はありますか? KIRARA:まず第一に、ボーカルについてです。歌やラップが入る音楽をこれからたくさん作りたいと思っていますが、多分その試みを本格的にするアルバムが次のアルバムになると思います。ボーカルがもっと入る音楽をやりたい理由は、もっとお金を稼ぎたいからでもあります。それから、もう少しサウンド的なことを考えると、最近はラテン音楽もやってみたいですね。私が好きな日本の電子音楽のミュージシャンはみんな今、自分のディスコグラフィーの中にボサノバとかサンバとハウスを混ぜる試みを一度はやっているんですよ。Mondo Grossoも、Fantastic Plastic Machineも、FreeTEMPOもそうでした。私もそういう音楽に慣れているし、そういう音楽がとても美しいと思っていたので、やってみたことは何度もあったのですが、うまくいかなかったです。もっとルーツを辿らなきゃいけないし、南米の音楽をもっとたくさん聴かなければならないと思います。 ―リミックスのお仕事もたくさんされていますが、他のアーティストのリミックスをすることはKIRARAさんにとってどんな意味がありますか? KIRARA:そのミュージシャンへのリスペクト、プレゼントという意味が一番大きいんですけど、「それがちゃんとプレゼントとして機能しているのかどうかな」と思うこともあって、最近はあまりリミックスをやっていないです。 ―では、ご自身で考えたときに、これまでしたリミックスの中で特に満足したものはありますか? KIRARA:まず、ペク・イェリンさんの音楽をリミックスした経験を話さないといけないですね。イェリンさんがありがたいことに、私のリミックス・バージョンを使ってライブをしてくれています。おかげで私のリミックス・バージョンが本当に光輝くようになったので、イェリンさんにもとても感謝していますし、リミックスをしていてやりがいを感じた数少ない経験のうちの一つだと思います。 ―レッスン活動も昔からずっと続けられていますね。 KIRARA:そうですね。今は個人的にやっているレッスンもありますし、外部から依頼を受けて毎週月曜日にやっているエイブルトンの講義もあります。すごく楽しいし、努力した分だけ報われる仕事だと思っています。レッスン生の目つきとか、彼らがアルバムを出したり、実際に楽しく活動しているのを知ったときに感じるやりがいとか、そういうものが原動力になってこの仕事を続けているような気がします。人前で話すのが好きなので、私の適性に合っているのかもしれません。 ―後輩のミュージシャンを育てたいという思いもありますか? KIRARA:あるんですが、彼らを後輩と呼ぶのがいいのかどうか、私が育てているって言えるのかどうか…ちょっと言葉が重いかもしれないです。私はただ、電子音楽を一人でやるのは寂しいし、退屈なので、一緒にやる人が必要なんだと思います。だからレッスンを頑張っているのかもしれません。 ―韓国のインディ・シーンではレッスンをして生計を立てているミュージシャンが多いと思いですよね。 KIRARA:レッスンの一番いいところは、決まった時期に決まった収入が入るということだと思います。安定した収入を得たいたくさんのミュージシャンがレッスンをするようになってきているし、電子音楽の場合、K-POPの影響でコンピューターで音楽を作ることを学びたい人の需要がすごく多くなったように思います。 ―先ほど「今は寂しいし、一緒にやるミュージシャンが増えるとい」と仰っていましたが、では、今KIRARAさんが所属するインディーや電子音楽のシーンは今後どう変わったらいいと思いますか? KIRARA:私は個人的には、ライブセットで電子音楽をやっているミュージシャンがもっと多くの場所でライブができたらいいなと思います。ミュージシャンがもっと面白い音楽を作ることも重要ですが、もっと多くの人に電子音楽という概念を認知してほしいです。実際、私は今でも韓国のラジオ放送とかに出るとDJと言われることが多いんですよ。私はDJではないのに。それだけ電子音楽に対する理解が一般大衆にあまりないのが現実だと思います。だから、私が友達と一緒に音楽を一生懸命やって、パイを増やし、もっと私たちの力を大きくすれば、人々に韓国に電子音楽というものがあること、そしてそれが面白いという事実を知らせる役割が出来るんじゃないかと思っています。 ―日本の読者に伝えたい韓国の電子音楽のミュージシャンはいますか? KIRARA:一番思い入れのある先輩であるIDIOTAPEの話をしたいですね。IDIOTAPEも日本でたくさんライブを出来るようになったらいいなと思っています。 *IDIOTAPE:韓国の3人組エレクトロにか・バンド。2010年のデビュー以来、韓国大衆音楽賞受賞経験が多いほか、ロック・フェスでも毎年ヘッドライナーに近いスロットでも出演するなど、ライブ・パフォーマンスの人気が特に高い。 あとは、私のレッスン生たちですね。私と一番音楽の話をしているのは私のレッスン生たちなんですけど、彼らと一緒に日本で演奏する機会があったらすごく面白いと思います。 *KIRARAのレッスンのレッスン生の中には、アルバム『A premature and meaningless confession』で韓国大衆音楽賞最優秀エレクトロニック・アルバム賞ノミネート歴もある電子音楽家、チャン・ミョンソンもいる。 ―今回の日本でのライブにはどんなことを期待していますか? KIRARA:日本でたくさんのライブをしたいです。私は日本という国にとても感謝しています。日本のミュージシャンがいなかったら、KIRARAというミュージシャンはいなかったと思います。私は、韓国で生まれ、日本語は一言も話せなくて、名前だけキララで、恩返しをする資格があるかどうかはわかりませんが、チャンスがほしいです。日本の音楽から多くの影響を受けた私が、自分の音楽で日本の人たちを楽しませることができたら、とても感動的なことだと思います。そうなるためのスタートとして、今回の日本でのライブを考えています。 ―最後に日本の読者やファンに伝えたいことはありますか? KIRARA:韓国の電子音楽家はお金を稼ぐのがとても難しいので、多くの人がK-POPプロデューサーになることを夢見ていますが、私はそうしないようにしています。みんながK-POPプロデューサーになるのは面白くないと思うんです。だから私は電子音楽というアイデンティティを維持しながら、私の名前でアルバムを出し続けたいです。韓国に私のようなミュージシャンがいることを知ってほしいし、私はその中でも日本の音楽の影響をたくさん受けています。ミュージシャン、KIRARAを愛してください。 – KIRARA 来日公演情報 ・『Dispersion』 2023/11/03(Fri.) at CREAM Shimokitazawa ADV:¥2,000+1D DOOR:¥3,000+1D -LIVE- KIRARA -DJ- Acrocanthosaurus Miii music fm Yuma Yamada 【事前予約】 https://forms.gle/SEs9jaq73vdqWvWP7 – ・めちゃくちゃナイト 메차쿠차나잇 2023.11.05(sun)
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