Thinking Framework – 考える枠組み vol.8

8. 取り戻すべきは過去か未来か

 

 

Text : Naohiro Nishikawa

Photo : Daiki Miyama

 

2010年代初頭に生まれた音楽のジャンルにVaporwaveがある。Vaporwaveはインターネットのコミュニティーから生まれたジャンルであり、Vapor(霧や蒸気の意)という名の示す通り、実体のない作られたジャンルだ。2000年後半に盛り上がりを見せたChillwaveの音楽ブログ主導という非権威主義を更に推し進め、コミュニティー主導、匿名性そしてインターネット特有のミーム感あるいは悪ふざけから作られたものだ。

 

Vaporwaveの特徴はDTM黎明期のMIDI音源をそのまま使ったようなチープな打ち込みによるエレベーターミュージックやシティーポップを当時流行していたポストインターネット的な意匠とバッドテイストによりパッケージングしたものと言えるだろう。このジャンルを代表する作品であるMacintosh Plusの『Floral Shoppe(フローラルの専門店)』のジャケットやコンピュータ翻訳調とも言える壊れた日本語を見ればこのジャンルの感覚や美学が伝わるはずだ。

 

そういった表面的な特徴以外に、Vaporwaveにおいて特筆すべきことは、すべてが過去と結びついていることだろう。それは先代のChillwaveからの流用であるダウンテンポと哀愁漂うシンセサウンド由来のところもあるが、彼らが使う意匠やモチーフは、16bitゲーム風のスプライト、3DCG黎明期のレイトレーシングやローポリゴンで描かれた静物。郊外型のショッピングモールやヤシの木への情景など過去を連想させるものばかりだ。

 

そのVaporwaveを代表するアーティストの一人がESPRIT 空想ことGeorge Clantonだ。ESPRIT 空想はその漢字を取り入れた名義からも明らかなように、2014年のアルバム『Virtua.zip』のジャケットは『バーチャファイター2』の今の目で見ればポリゴンも解像度も足りないアキラが使われるなど、Vaporwaveの様式を用いている。

 

しかし、その4年後の2018年に本名George Clanton名義でリリースした『Slide』では旧来のVaporwave的様式は影を潜めることになる。ジャケットに写る本人のブリーチされたジーンズとロンT、ハイテクスニーカーの組み合わせは90年代初頭のダンスカルチャーやその後のレイブカルチャーを思わせるものであるし、鳴っている音はロックとダンスが融合したセカンド・サマー・オブ・ラブなマンチェスターや、それを通過した91、2年頃のシューゲイズとダンスを混ぜたギターバンドと同じ音だ。タイトルからも分かるように当然後期のFlipper’s Guitarからの影響もあるだろう。

 

このアルバムもVaporwaveだと捉えるのであれば、Vaporwaveは何にでもなれる自由なジャンルだと言うことができるだろう。唯一、Vaporwaveというジャンルを規定するものがあるとすれば、それは過去の何らかの様式を取り入れているということだけだ。*1

 

Vaporwaveの例を持ち出すでもなく、音楽は過去の様式を引用し発展してきた。それは常に新しいムードを取り入れてきたK-POPでも例外ではない。

 

K-POPにおいてもっとも過去に接近しているアーティストと言えば、2022年7月に『Attention』でデビューした5人組のガールズグループNewJeansだろう。NewJeansが所属するADORの代表であり実質的なプロデューサーであるミン・ヒジンは、グループの名前を老若男女みんなに愛されてきた「ジーンズ」のように日常に密接し、時代のNew Gene (新たな遺伝子)になる覚悟が込められていると説明している。そして現在において、彼女たちの世代の日常に密接したファッショントレンドと言えばY2Kだ。

 

デビュー曲の『Attention』のMVで5人は、ジャージ、ジーンズ、サッカーシャツ、モトクロスジャージ、ワークブーツにストライプのニーソックスと様々なルックを矢継ぎ早に見せているが、それらはどれもY2K的なスタイルと言えるだろう。またこのビデオで特徴的なのは、寝起きの髪に止められたヘアピンや有線のポータブルヘッドホンなどの小物が、Y2Kを通り越し90年代や80年代をも思わせるところだ。

 

つまり彼女達において、Y2Kのカルチャーは2000年代という特定の時代のファッショントレンドを指すというよりもレトロでかわいいもの一般という感じなのだろう。日常でレトロでかわいいものという価値基準は日本のアイドルカルチャーから見るとごくありきたりなもののようにも見えるが、近年のK-POPのガールズグループのコンセプトとしては異質なものだ。

 

2020年11月に『Black Mamba』でデビューしたaespaは「自分のもう一人の自我であるアバターに出会い、新しい世界を経験する」というコンセプトのもと、メンバー4人の各々に対応するアバターがバーチャルなメンバーとして存在し、合計8名のメンバーが現実世界と仮想世界の両方で活動するとしている。

 

NewJeansよりも4ヶ月ほど早く2022年3月に『Tippy Toes』でデビューしたXGはXtraordinary Girls (extraordinary 並外れた、規格外の意)から来ており、常識にとらわれない規格外なスタイルの音楽やパフォーマンスを通じて、世界中のさまざまな境遇の人たちをエンパワーしていくとしている。

 

このようにaespaもXGにも日常やレトロというキーワードはなく、ロゴもAcid metalやAcid graphicsと言われるサイバーで未来志向なもので、よりパキった*2 表現を行っている。これは彼女達がデビュー時にベンチマークとしたのが、世界的な成功を収めたBLACKPINKだったからだろう。BLACKPINKは、最も綺麗で女性的な色とされてきたピンク(PINK)と、それを否定する意味で黒(BLACK)を前に付けて、「美しいもの(現存する女性らしさ)が全てではない」ことを主張するとのことだが、その黒の部分のコンセプトを更に推し進めたのが、aespaのメタバースであり、XGの規格外のギャルであったのだろう。

 

しかし、それらのコンセプトもNewJeansの成功によって若干の軌道修正が行われているように見える。これまでのパキったEDMを軸に強めのビートやトラップ、トランス感あるシンセサウンドが売りだったaespaは、23年のサマーソングとしてリリースした『Better Things』では夏休みを感じるトロピカルでリラックスした楽曲でカムバックしてきた。MVもこれまでになくリラックスした雰囲気で、メンバーが過ごす部屋には時代遅れとも言える大型のステレオやカセットテープ、ポラロイドなどのレトロなものが配置されている。CGの熱帯魚に連れられて日常からあちら側の世界に行くという描写がなんとかaespaのメタバースのコンセプトを保っているところだが、それを除くと暖色にカラーコレクションされたビデオの質感も含めて実にNewJeans的世界観と言えるだろう。

 

aespa – Better Things

 

もう一方のXGがリリースしたサマーソングである『NEW DANCE』も、これまでのK-POP的EDMや『MASCARA』で聴かせたSophieを思わせるハイパーポップとも言える楽曲から方向を変えて、ギターのリフが入ったR&Bハウスとでも言えるような楽曲に仕上がっている。MVもこれまでの戦隊モノやディストピア感さえ漂うパキった表現は後退し、スタイリングはNewJeansの『Super Shy』のMVでも使われているY2Kを取り入れた人気ブランド『Mowalola』であるし、後半で唐突に登場しズームインされるモニターは、VHSビデオを一体化させたブラウン管のテレビデオというレトロ具合だ。一番最後でそのレトロな世界から元のXG的空間に戻るのは夏休みに時空を超えて2000年代初頭に遊びに行っていたということなのだろうか。

 

XG – NEW DANCE

 

K-POPは商業音楽であり、外貨を稼ぐためにUSを始め様々な国のマーケットを狙ったという出自からしても、売れたものが正義というカルチャーである。よって、NewJeansのK-POPのEDMを基調としラップや高音パートが入るお約束を捨てて、インディーR&Bとでも言える楽曲と日常でレトロでかわいい意匠での成功は、K-POP業界に新たな潮流を産んだと言えるし、他のガールズグループの新しいベンチマークになるのも理解できる。

 

しかし、過去だけを見ていて良いのだろうか。確かにY2KやレトロなものはNewJeansを消費する若い世代にとっては目新しいものと写るかもしれない。それでも、それはやはり過去のものだ。2020年代としての新しい何かを産まなくてもよいのだろうかと思う。

 

前述したようにVaporwaveは過去の何らかの様式を取り入れているジャンルだ。しかし、そこで使われている意匠やモチーフをよく見てみると、実は未来を志向していることに気づく。16bitゲーム風のスプライトや3DCG黎明期のレイトレーシング、ローポリゴンは今の目で見れば時代遅れのものであるが、その当時としては最新のものであり、より良いものを求めた中での進化の通過点だ。George Clantonが『Slide』で参照した80年代の終わりから91年頃のロックとダンスの融合や続くシューゲイザーのダンス化もそうだ。当時は1年ごとに、ともすれば数ヶ月ごとに新しい音が鳴らされ、多くのバンドがそれに追従し、また新しい音を発明する未来があった時代なのだ。

 

つまり、Vaporwaveは新しいものが登場しない、すなわち未来がない2010年代の状況を未来のあった過去に求めた、失われた未来を過去に希求したジャンルと言えるのではないだろうか。未来がない現在ではなく、未来があった過去を現在に立ち上げて未来を幻視したのだ。

 

夏の終わりとは言えまだ猛暑が続く9月の終わりにリリースされたXGの1stミニアルバム『NEW DNA』のコンセプトは「常識にも枠にも囚われることのない『新たな種族』であるという表明を果敢に作品に込めた」とのことである。『新たな種族』というのは、全員日本人であり韓国のスター育成システムというフレームワークを使ったK-POPともJ-POPとも厳密には言えないXGの立場をフィクショナルに表したものだろう。その『NEW DNA』というコンセプトの通り、一曲目は『HESONOO』(へその緒)という攻め具合であるし、二曲目も『X-GENE』と未知な遺伝子を表したトランスヒューマン的なものと言えるだろう

 

『NEW DNA』のリリースと同時に公開された『PUPPET SHOW』のMVは、『NEW DANCE』の日常のそれとは違い、白に包まれた未知の種族の住む惑星に神として降臨し祝祭を受けるような、外側を目指したものだ。イーロン・マスクのスペースXの火星移住計画や長期主義者の宇宙主義、地球とは大きく環境が違うところでも宇宙服のようなものを着ることなく活動できているところを見るとトランスヒューマニズムにも通じるものがある。これが未来として正しい方向かどうかは分からない。分からないが、分からないからこそ、それは一つの予測不可能な未来を示すものだと言えるのではないだろうか。

 

XG – PUPPET SHOW

 

*1 George Clantonの最新作『Ooh Rap I Ya』のレビューとして吸い雲は「特定の時代の美学を取り出すアプローチ」と称している。これは本稿で取り上げた『Slide』についても言えることだと思う。https://turntokyo.com/reviews/ooh-rap-i-ya-george-clanton/

 

*2 パキるとは一般に市販薬をオーバードーズ(OD)し意識を変容した状態を指すが、ここではそこから転じて尖ったあるいは覚醒している状態を指す動詞として用いている。

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