Thinking Framework – 考える枠組み vol.3

3. ダークウェブと新しい実在論

 

by Daiki Miyama

 

ティム・バーナーズ=リーがワールド・ワイド・ウェブの元となるハイパーテキストシステムを構想し今年で30年になる。彼はウェブの30年を記念した書簡で現状のウェブには次の問題があると述べている。*1

 

1) 国家ぐるみのハッキングや攻撃、犯罪行為やオンラインハラスメントのような計画的な悪意

2) ユーザーの利益を犠牲にして誤ったインセンティブを生み出すシステムデザイン、例えば広告売上モデルで商業的報酬を狙ったクリックベイトや偽情報の拡散

3) 暴力や偏見に満ちた調子や性質を持つオンラインでのやりとりが、優れたデザインに反して負の結果をもたらすこと

 

しかしこれらは本当にウェブ、つまりインターネットだけの問題だろうか。1)は反社会的な国家が秘密裏に核爆弾や覚醒剤を製造したり、現実から犯罪やハラスメントがなくならないことに、2)は例えばクレジットカードの情報弱者を騙すリボ払いや面倒だが使わないと損をするポイント制度に、3)は学校の教室や職場などいろんな人間が集まり「自由に議論ができる」とされる場所に普通に見られることであり、どれも現実にある問題と同じではないかと思う。

 

ティム・バーナーズ=リーのようなシステム屋はこれらの問題をシステムで解決しようと考える。しかしインターネットは彼の構想した様々なテキストを横断的に参照することができるハーパーテキストシステムを超えてもはや現実の一部だ。よってインターネットが現実と同じ問題を持つのは当然の帰結であり、もしこれらの問題を解決したいと思うなら、現実こそを変えるべきではないか。そうではなく、もしインターネットだけをシステムで行動に制限をつけ、彼の考える負の部分をごっそりと削り落としたなら。それは『CODE』でローレンス・レッシグが警告するように現実とはまた別の息苦しい世界となってしまうだろう。

 

一方で、インターネットは現実とは違うもう一つの世界だと考えたい人達がいるのも事実だ。テレビや新聞などの旧来のメディアが伝える「ネットの声」というのもその一つだろう。それとは別に、現実世界と違いインターネットに行動の匿名性、現実世界では犯罪となるようなものを含めた最大限の自由を求める人達もいる。

 

もちろん、通常のインターネットでは多くの人が知るように本当の意味での匿名性は担保されていない。もしあなたがインターネットの匿名とされる掲示板に犯罪予告を書けば、次の日曜日の朝に警察がインターホンを鳴らすことになるだろう。これはその掲示板のサーバに書き込みを行ったIPアドレスと時刻が、インターネット・サービス・プロバイダにはそのIPアドレスをその時間に使ったのが誰かがそれぞれ記録されており、警察の要請により開示されるからだ。

 

逆に言うとこの「IPアドレス」と「そのとき誰が使ったか」という関係を誰にも分からないようにすれば、インターネットでの通信を匿名にすることができる。それを可能にするソフトウェアの一つが2012年に起きた「パソコン遠隔操作事件」でも使われたTorだ。

 

Torには匿名でインターネット上のサーバーに接続するという機能だけでなく、Torのネットワーク内にTor経由でのみアクセス可能なサーバを匿名で立ち上げることができる。この機能を使って構築された誰が開設したのか、誰がアクセスしたのかが分からないサーバ群が「ダークウェブ」と呼ばれる、完全な匿名性が保たれた現実とは違うもう一つのインターネットだ。

 

この完全に匿名なインターネットが手に入ると人は何をするのか。木澤佐登志著の『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』はダークウェブとその基盤となる暗号学の基礎的な説明*2 から始まり、その住人たちの行動とその変遷を書き記す。

 

大方の予想通りというべきか、最初に書かれるのは現実のインターネットからは排除された違法な行為だ。特にBitcoinに代表される仮想通貨による金銭の受け渡し手段が確立されると、無料でコピー可能な情報の交換だけではなく物質と金銭の交換。つまりは違法な物の販売も可能となる。

 

それは法律で禁止された違法薬物の販売から始まり、現実世界からは見放された児童ポルノ、臓器売買、人身売買、殺人請負と真偽が疑わしいものへとエスカレートしていく。そこにはなんでもありだった現実になる前のインターネットや海外のパソコン通信がその過激さだけが誇張され伝えられたあの雰囲気。『危ない1号』や今でもクーロン黒沢が描き続けるあの世界が続く。

 

本書の見所は、そういった見世物やタブロイド紙的な下世話さだけに止まらず、その根底に流れる思想に行き着くところだ。それも新しい技術が正しい未来を作る『Wired』誌的な思想とは真逆の、民主主義やリベラルを否定する陽の光の下では育たないダークな思想、とりわけ現在のアメリカが突き進む新反動主義(Neoreactionism)へと誘う。

 

もともとの反動主義とは、革命や終戦で成立した体制を批判し、素晴らしい時代である過去の体制に戻そうとする思想だ。フランス革命を否定し王政を復古したい。共産主義革命を否定し君主制に戻りたい。戦勝国に押し付けられた民主主義を否定し軍国主義に戻したいなどがそれだ。

 

では、新しい反動主義である新反動主義が否定する現在とは何か。それは行き過ぎたとされる民主主義であり、誰もが平等であるべきという考え、つまり狙われるのはポリティカル・コレクトネスでありリベラルだ。

 

この新反動主義は Alta-right(オルタナ右翼。つまりはアメリカ版ネトウヨ)と言われる層の基盤となり、ドナルド・トランプを生み出すことにも繋がる。トランプの「政治的な正しさに構っている暇はない」という発言や「Make America Great Again」というスローガンは実に新反動主義的であると言えるだろう。

 

さらに特筆すべきは、この思想的潮流はなにも新しい技術と産業によって好景気を維持するアメリカから取り残された、田舎に住む白人男性の昔は良かったというノスタルジックな願望だけから生まれた訳ではない。こういった考え方がある程度以上の地位にあるエリート層からも発せられるところだ。例えばPayPalの創業者であり、シリコンバレーのテック業界に多大な影響力を持つPayPalマフィアのドン、ピーター・ティールはリバタリアンでありトランプ支持者だ。

 

こういった反リベラル主義者やトランプ支持者に対して、リベラルの側は彼らの言説、政策にはエビデンスが無い。感情が優先された間違った言説により世論を間違った方向に導いている。ポスト・トゥルース、真実に基づかない政治だと批判してきた。

 

それに対する反リベラルの側からの「知的」とされる反論も当然ある。そのリアクションの一つが科学的エビデンスを重視し反リベラルな主張をインターネット上で展開する学者や言論人のネットワーク、「インテレクチュアル・ダークウェブ」*3 だ。

 

彼らは、ジェンダーや人種の間には乗り越えがたい生物学的差異が存在しており、それは諸々の科学的、統計学的エビデンスによって証明されている。よって行き過ぎたリベラル社会、例えば、IT企業においてプログラミングが不向きとされる女性の雇用を促進することは非合理であり、不利益をもたらすと主張する。

 

しかし、当然ながら思想であるリベラルに合理性を示すエビデンスなんてものは無い。リベラルの思想の中心である自由であり平等というコンセプトは合理的だから採用されている訳ではない。たとえ全体としては不合理であったとしても誰もが自由に生きるためにはどうすべきかを考えた上でのコンセプトだ。それは決してエビデンスで測れるようなものではないのだ。

 

生物学的な差異や、自然の摂理、自然界で見られた現象などをエビデンスとして、人間や人間社会に当てはめることがなぜ間違っているのか。それを説明するのがドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの近著『なぜ世界は存在しないのか』だ。

 

ガブリエルは本書の中で、全ての物は実在すると説明する。例えば山手線は実在する路線でありそこを走る電車のことだが、ある人が乗る山手線も、その車両を別の人が外から見たものも、また別の人が空想した山手線も等しく実在するとすれば、創作に登場する山手線もまた創作として実在するとする。

 

このようにガブリエルは本当にあるものは当然として、その別の見方も、ある人の想像の中にあるものも、創作の中に登場するものも全て実在するとする。ただ一つ、それら全てをまとめる世界というものだけは存在しないと言う。

 

例えば人間を語るとき、物質として見ると全体の60%が水で酸素が25%、炭素が10%というような分析が可能である。医学的には体重や体脂肪率、血圧や肝機能で人間の健康状態を測ることができる。一方、文学では登場人物として恋をしたり振られたり、誰かを恨んだり恨まれたりもするだろう。

 

これらは物質という世界、医学としてみた世界、文学としてみた世界とそれぞれ独立した小さな世界の中での人間であり、同じ人間というものを扱っていても、それらを混ぜることはできない。人間の60%は水でできているから恋は冷めるのだと説明することもできなければ、登場人物の体脂肪率が低いからストイックな文学作品だということもないのだ。

 

つまり、エビデンスで測れる世界と人間社会がどうあるべきかという思想の世界は別の世界であり、一方の物差しによってもう一方を測り説明することはできない。こういった至極当然であるが、当然であるだけになかなか説明の難しいことを事例を交え丁寧に説明する本書は、一段上のメタな抽象度の高い世界で考えることが時に現実の具体的な問題を説明するということを教えてくれる。

 

Text by Naohiro Nishikawa

 

 

*1 30 years on, what’s next #ForTheWeb?

 

*2 本書の第1章でダークウェブの成り立ちを現代の暗号学の基礎から語り始める導入は非常にセクシーであるが、数学的という説明は少し誤解を与えるように思う。なぜなら現在使われる暗号の解読に必要な計算量は数学的には証明されていないからだ。公開鍵暗号で使われるRSA暗号は巨大な合成数の素因数分解の難しさに依存するため、その計算量は数学的に証明はされてはいないものの、その難しさはこれまでの数学の歴史によってある程度は担保されると思ってよいだろう。しかし現在、一方向ハッシュ関数としてもっとも使われているSHA-2を数学的というのはかなり怪しい。実際のところその前身であるSAH-1は脆弱性が見つかっている。そもそも一方向ハッシュ関数のあらゆるデータを衝突のない固定ビットで表すというコンセプト自体に無理があるようにも思う。

 

*3 「インテレクチュアル・ダークウェブ」に関してはダークウェブ本の著者である木澤佐登志氏の『欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感』https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59351に詳しい。本稿の「インテレクチュアル・ダークウェブ」に関する記述はこの記事から引用している。

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