読書実録 #3

不定期にお届けするKentaro Mori(世界的なバンド)のコラム。

 

 

■7/30

 

Mr Twin Sisterの新曲。

 

 

数年前NYで観たライブは最高だった。ライブする喜びにふれて、感動して泣いてしまった。

ボーカルの子は日本大好きみたいだし、メンバーもめちゃいい人たちだったし、誰か呼びませんか?

 

今日は、柴田元幸・高橋源一郎『小説の読み方、書き方、訳し方』(河出文庫)を読む。

冒頭からグングン面白い。

 

 

高橋:本当のことを言うのが文学だというのは、実はまったくの嘘なんですね。でも、よく考えてみたら、これは文学に限ったことではなくて、この世界の構造は基本的に「本当のことは言わない」ということなのかもしれない。つまり「コード」というのは、そういうことですよね。

 

 

小説の話をしていて、それが自然に「世界」の話になっていくのが面白い。音楽でも、映画でも、なんでもそうだけど、そのジャンルの話だけしてしまうのはつまらない。

 

高橋:「小説」というものの最大の特徴は、「人間」がそこに登場することで、そして「小説」以上に「人間」というものを説明できる手段を我々は持っていないからです。

 

 

これは、たしか保坂和志も「人間の現われない小説は存在しない。それはなぜなのか、ということをいつも考えながら小説を書いている」(大意)というようなことを書いていた。これを初めて読んだときの「うわっ、ほんとだ、これはすごい、なんかよくわからんけどすごい」と、さも自分が発見したかのように驚いたことを覚えている。それ以来、何を読んでも心のどこかにはこのことが常にある。考えてもわからんのですが・・・

 

 

■7/31

 

Okkyung Leeのインタビュー

や、Latinaの角銅真実のインタビューを読んでいたら、「Mark Fell」という文字を久しぶりに見たので聴きたくなったところ、これまた新作がいつの間にか出ていた。

 

 

これにはビックリした。Kink Gong化したMark FellもやっぱりMark Fellで、この人の底知れなさ。

 

引き続き、柴田・高橋『小説の読み方、書き方、訳し方』。

この対談は、「小説というものを読む=書く=訳す、というものはイコールで結ばれるのではないか、といっても全く同じというわけではなく、それは「固体」「液体」「気体」のように変化していくものなのではないか」という所から始まる。

「小説の訳し方」という章でも、「翻訳」の話にはならず、「アメリカ」や「日本」、「世界」の話になる。そこがいい。

 

 

高橋:「アメリカ」という言葉を翻訳しても「日本」にはならない。変ないい方ですけど。

つまり「アメリカ」を日本語にしたらどうなるかって考えたんです。翻訳ってそういうことですよね。固有名詞を翻訳するってそもそも無理じゃないですか。だから、誰も「アメリカ」を翻訳しようとは思わないんです。僕は一回やりたいなと思っているんですけど、やり方が見つからない。

 

 

保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)と木庭顕『誰のために法は生まれた』(朝日出版社)を購入。

保坂和志は発売日に買ったはいいが、楽しみすぎてすぐに開けない。勇気が足りない。

 

 

■8/1

 

 

WBSBFK土屋くんが嫉妬しているに違いないPV。

 

保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット)を読む。

社会に蔓延していて、しかもそれを公言してはばからなくなってしまった「ヘイト」の渦。これはどこから生まれるのだろうか。それは醜い「ルサンチマン」から来るのではないか。ぼくの中にもルサンチマンは、ある。それをどう乗り越えればいいか。

 

読み始めた、立岩真也『増補新版 人間の条件 そんなものない』(新曜社)が面白い。学生時代に旧版を読んだ記憶があって、その時はこのまどろっこしい文体が読めなかったが、今読むとぼくの興味ある領域とぴったりだった。

 

 

「不自由」をどう考えるかということ。したいことができないのはたしかに困ったことです。でも、自分ができないことを他人にやってもらったらちょうど同じになる場合もある。

 

 

「できることはよいことか」―そんなこと考えたことさえなかった。一度この「常識」を疑うと、いかに自分が「できないこと/人」を排してきたかを思い知らされる。

 

 

■8/2

 

 

来たる新作も楽しみ。

引き続き『人間の条件 そんなものない』を。

 

 

「できる」「できない」ということの意味をもっと考えたほうがいいだろうと思っています。

[…]

みんなができるようになる必要はない。

 

 

「私の作ったものが私のもの」「私がすることができることが私」ということが「人間の『価値』」とする社会に生きているけど、「そんなものない」。

今読めてよかった。

 

 

■8/3

 

 

rei harakamiって、ちょっとナイーブすぎて好きじゃなかったんだけど、今、すごくイイと思える。ようになった。

 

保坂和志『ハレルヤ』を読む。がまんしきれなかった。

最高傑作。感涙。

時間は、過去→現在→未来、という単線的なものではなく、その度ごとに新しく生まれるものであることを証明してしまった。

 

 

過去の出来事は現在の私の心、というより態度によってそのつど意味、というのでなく様相、発色が変わる。

[…]

時間のイメージが、流れないで、過去と現在が同時にあると考えている人たちがいるとしたら、その人たちは死を生の終わりであるとは考えないだろう、生には終わりはあるかもしれないがそれを死とは呼ばない、というような。

(「ハレルヤ」)

 

 

そのことは、19年前の小説『生きる歓び』を再録することでも現れている。

読む度ごとに、新しい今を生きている。すべて響きあっている。

 

 

「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。

[…]

「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。

(「生きる歓び」)

 

 

問答無用に元気が出る。

 

 

世界があれば生きていた命は死んでも生きつづける。

世界があるからこそ命は無になることはない。

 

 

■8/4

 

 

齋藤陽道『異なり記念日』を読む。

ぼくのいとこは聴者だが、その両親はろう者で、その家族を思い浮かべながら読んでいた。

一言に「ろう者」と言っても、生まれつきの人もいれば、途中の人もいるし、手話の中にも「日本手話」と「日本語対応手話」と違いがあることもしらなかった。ましてや、ろう者のもとに生まれた聴者がどんなことを思っているかなど・・・何にも知らなかった。

 

 

「おとさん。おとーさん」

「なになになに、どうしたの?」

「あったー!」

[…]

「音楽、あったー!」

「あ、音楽。ああ音楽か!音楽が、あったんだね」

 

「異なる」ことを理解し合うことから・・・。

 

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫 上』を読み始める。

冒頭、

 

 

三分の一世紀のあいだ、私はデトロイトなしで十分やってきた。[…]ところが二年前のある日、都市は私を急襲し、逃げるすきも与えず私を拿捕したのである。

 

 

すぐにゼーバルトを連想する。主語は「私」と一人称ながら「私」の存在感は希薄で、建築のディテールが語られる。そして「写真小説」でもある。

そういえば『アウステルリッツ』も『舞踏会へ…』も、駅に到着するところから始まっていたはずだ。

 

 

我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。ぶっ倒れるまで踊らされるのだ。

 

 

■8/5

 

今日は久しぶりに映画を。

 

 

めちゃくちゃ泣いてしまった・・・

終了して後ろを振り返ったら、シネコンに満員の光景を見て、また泣けてしまった。

誰にでも薦められる映画。

 

『舞踏会へ向かう三人の農夫』のつづき。

アウグスト・ザンダーの一枚の写真から小説は始まる。

ロラン・バルトは、絵画と違い、写真は「事物がかつてそこにあったということを決して否定できない」と言っている。

この写真の人物は、確実に在った。では、その写真から始まるこの小説の物語は?

 

 

芸術はいまや芸術自身を主題かつ内容としている。絵画についてのポストモダニズム、作曲をめぐる十二音技法、フィクションに関する構成主義小説。さらに言うなら、世紀はそれ自身についての世紀、歴史についての歴史となった。それは静止した、折衷主義の、あまねく自己反映的で、均一に多様な閉じた円環であり、新星出現につづいて宇宙空間に生じる均質的な残骸である。この世紀にあっては、何かが起きればかならず、何か同時に別の出来事が生じてそれと結びつき、共謀してひとつの全体を形成せずにはいない。

 

 

安積純子、岡原正幸、尾中文哉、立岩真也『生の技法[第3版]家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(生活書院)と『舞踏会へ向かう三人の農夫 下』を購入。

 

■8/6

 

 

今日は何を読もうか、しばらく前から考えていた。

今年は、現代詩文庫『たかとう匡子詩集』(思潮社)を。

 

 

いもうとは冬のひかりの内側をなだれ

ひろがっていく

溶けていく

炎のなかを跳びはねて死んだいもうとの

その日づけ

その刻限

机上の染み

(「いもうと考」)

 

 

TEXT:Kentaro Mori(世界的なバンド)

 

category:COLUMN

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