アマルガム論 vol.0 目的と手段

vol.0_目的と手段

 

 Sarenとは、僕が自らの音楽や言動などを通して発信する全てを指すプロジェクトであり、僕の人生そのものが形を成したものだ。

 

 この活動を始め、いつの日からか「目的はモノラル、手段はステレオ」が僕の信条のひとつになった。この考えは、如何なる事象に対しても本質的であると考えている。そして、僕はその単一な目標を達成することを日々強く願っている。

 

 名前に触れたらわかるように、僕の願う方法は多岐に渡る。

 

stu兼ウチ – 0108/2025 by Gaku Kokue

 

 そういえば、この連載はAVYSS MAGAZINE内では『コラム』に分類されるらしい。どうだろう、違う気がする。今書いている文章/これから書こうとしている文章は、コラムよりも『エッセイ』や『随筆』に近い気がする。でも、そう呼びたいとは思わなかった。定義として合っているとか間違っているとかいう話ではない。ただ、そう呼びたくなかった。似合っているだろうけど、自分が気に入っていない服を親に着せられている子供のような顔で書くことになると思ったからだ。

 

 僕は、Sarenを始めるにあたって、目的という名の“願い”をひとつ抱えていた。「納得してほしい」Sarenという人間が発する音楽、詩、言動、行動等々を構成する僕の人生そのものを、なるべく多くの個人に納得して欲しいという強く残酷な“願い”を。その願いを叶えるためには、僕の中にある情報を、できるだけ純度を保ったまま、各個人の中へ溶け込ませる必要があると考えた。

 

 情報が溶けるというプロセスは、一方的なものではない。溶け込む先で化学反応が起こり、Sarenを理解する人たちの中で、何らかの新しい価値や視点が生まれることを期待している。そして、近頃の僕はSarenの「融点」を調整する必要があると感じていた。

 

 これまでの僕は、自分の言葉や行動が少しでも誤解されないように、慎重に「融点」を高く設定していた。しかし、それでは十分な反応を引き出せないと気付いた。Sarenという存在をより多くの人の中に広げるには、少し融点を下げ、より溶けやすくする必要がある。柔軟でありながらも本質を失わない、その絶妙なバランスを探る作業が必要だった。

 

 この連載を始める理由も、そんな調整の一環だ。文章を書くことで、自分の内側を少しずつ外側に流し出し、その過程で自分自身も変化する。だから僕は、この連載を『アマルガム論』と名付けた。

 

俺と星 – 0109/2025 by Gaku Kokue

 

 といった具合のコラムを毎月連載することになりました。よろしくお願いします。

 

Saren

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