春ねむりが新曲「Déconstruction」をリリース|ステートメント公開

延期された北米ツアーの新日程発表

 

 

春ねむりが、ノルウェーのAURORAやイギリスのロック・トリオLondon Grammar等を手掛けるプロディーサー・デュオ「MyRiot」(Tim Bran and Roy Kerr) を共同プロデューサーとして迎えたニューシングル「Déconstruction」をリリース。

 

数日間に渡りオンライン上でのリアルタイムセッションを行い、春ねむりとMyRiotの持ち寄ったそれぞれのアイディアを落とし込み完成した楽曲は、進撃を予感させるイントロから壮大な音景が広がるアウトロまで、こだわりと高い完成度を持つ楽曲に仕上がった。リリックは、彼女のルーツとなるポスト・ハードコアを象徴とさせるバンド名を入れ込んだ言葉遊びや、ポエトリーラップという言葉に重きを置く手法ながらもリズムと音感のみのフロウで紡んだラインなど、アップデートを続け、脱構築を行っている。

 

そして、4度にも渡る延期を強いられている北米ツアーの新たな日程を発表。同ツアーは当初2020年3月から開始する予定だったが、新型コロナウイルスのパンデミックを受けて丸2年延期されていた。新たな日程では2022年3月4日に行われるニューヨーク州ブルックリン公演を皮切りに、7日にアメリカ・イリノイ州シカゴ、9日にアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ、11日にアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスにて、それぞれ予定されていた同会場にて開催される。新たなツアー日程は以下の通り。

 

HARU NEMURI「North America Tour 2022」延期公演日程

2022年3月4日(金) アメリカ・ニューヨーク州 ブルックリン「Knitting Factory」【SOLD OUT】

2022年3月7日(月) アメリカ・イリノイ州 シカゴ「Sleeping Village」

2022年3月9日(水) アメリカ・カリフォルニア州 サンフランシスコ「DNA Lounge」

2022年3月11日(金) アメリカ・カリフォルニア州 ロサンゼルス「The Echo」

and more dates TBA

 

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「資本主義はクソだ」と言うと「社会主義者なのか?」と言われ、「フェミニストだ」と言うと「男が嫌いなのか?」と言われることがある。それを言われるたび、わたしは教育の敗北をひしひしと感じている。何に敗北しているのか、と言われると一概には言えないが、それは例えば「既存のシステムによって富や権力を得ている階層に属する者たち」とざっくり述べることができるかもしれない。

 

教育は革命に至る力を持つ。だがしかし教育は複雑で、短期間で簡単に為され得るものでもなければ、明確なゴールもない。彼らは彼らの手にしている富をひとつも手放したくないし、そのために彼らの権力を担保している既存の腐りきったシステムを維持したいようだから、市民に革命という選択肢を与えないために、少しずつ搾取の構造を隠蔽し、子どもたちに正しい教育を与えない。歴史の教科書における従軍慰安婦の記述は縮小され、一部では侵略戦争を「アジア解放の歴史」として美化しているし、テレビの情報番組では科学者や専門家ではなくコメディアンが社会の状況や政治についてコメントし、登録者が200万人を超えるタレントYouTuberが「生活保護を受給している人間にお金を払うために税金を納めている訳じゃない」などと意気揚々と語っている。音楽を含め芸術もまた教育という側面を持つが、この国の音楽市場においてメインストリームで在るためには大抵、ミュージシャンは社会や政治について発言することを避けるよう求められることが多いし、エルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を音楽の授業で歌わせるくせに、ロックンロールがどういった歴史の中で生まれ、それは人種差別とどのように関係があるのか、ということに触れる記述は教科書に見当たらない。それらはすべて市民に対して、権力の在り処から視線を逸らさせ、自らを搾取している者や構造の姿形を見えにくくし、生活の苦しさや立ち行かなさ、満たされなさといったものを個々人の責任として押し付けることに、とても役立っているように思われる。そしてそれはある市民が権力を持ち搾取する側に立ったときや、任意の社会におけるマジョリティとしての特権を持つとき、その自覚を薄めたり持たせなかったりすることにも寄与している。

 

哲学者ジャック・デリダが「脱構築」という思想を提唱してすでに半世紀以上が経過している。「脱構築」とは「我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成している」(Wikipedia)という動的な営為だ。それまでの西洋哲学で前提とされてきた、真理を発見するために真理ならざるものを排除していく、というような二項対立を疑い、その対立を成立させている基盤そのものにまなざしを向け、その解体を試みる、という方法そのもののことを指す。これは、二項対立によって身動きが取れなくなってどツボにはまっている、社会の状況や構造の問題について議論する際非常に有用であると思われるが、先述したような教育の過程でわたしたちはその方法をあまり与えられていない。子どもたちは教室で、正しいとされる物を一方的に与えられ、自分の頭で考える方法よりも正しいとされる思想に同化する方法を教えられ、そこからはみ出したり取りこぼされた者を否定し、存在を無視したり断罪したりする。社会は教室の延長線上にあって、いつまでもある問題を停滞させている二項対立の根幹にあるものはなにか、という議論を無視し続け、ある問題について対立するものの正誤や善悪、優位性と劣位性をマジョリティが判断することが民主主義だと思っている。端的に言ってクソだ。

 

映画「ファイト・クラブ」において、タイラー・ダーデンは「お前自身は職業ではない。銀行の貯金がいくらかなんて関係無い。お前が乗ってる車でも、財布の中身でもない。ましてやクソッタレな軍服なんかでもない。お前らは歌って踊るだけのこの世のクズだ」と語り、「俺たちは皆テレビにこうそそのかされて育ってきた、いつか自分は大金持ちかスーパースターかロックスターだって。だがそうじゃない。少しずつその現実がわかってきた。そしてとうとう頭がキレたんだ」と言う。そうして彼は、「自己改善は、マスターベーションだ。必要なのは自己破壊だ」と戦わない人間の筋トレを一蹴し、他人との殴り合いに身を投じるし、「俺たちは消費者だ。ライフスタイルへの強迫観念の副産物さ」という認知の元、その副産物としての自己を含めた資本主義社会の破壊をも試みる。過激なミニマリストの積極行動主義者による、脱構築的営為であると言えよう。

 

彼が作中で行ったテロルに至る衝動と類似のものが、わたしの中にも存在する。同時に、すべての人間があるがままの自分で共生できるような世界になってほしい、という祈りもまた、存在している。引き裂かれた自我でわたしは、音楽をつくることを自分にとってのその闘いのフィールドとしてきた。この曲は、その闘いのうただ。

 

お前を日々の生活で精一杯にさせて、少しずつ考える気力を奪っている奴は誰なんだ?顔すら見えないくそったれに、お前を人間たらしめるはずのそれを奪われて、また違う顔の見えない誰かの人間としての尊厳と時間を奪って作った「丁寧な暮らし」に、お前はほんとうに満足しているのか?え?お前にできることなんてなにもないって?それは、お前と同じいずれ死ぬだけの有機物による戯言だ。同時に、お前は特別で価値がある人間だなんていうのも戯言だ。人間はすべからく同等に死という結果だけを予期しながら存在するだけの存在で、そこにはやるかやらないかしかない。思い込んで同じところに止まるな。それはすなわち腐敗を意味するからだ。止まるくらいならいますぐ死ね。そうして新しく生まれてこい。お前も、わたしもだ。

 

――思うに『完璧』なんかよくない。『完璧』を目指すのはよせ。それよりも進化しよう。どんな結果になろうとも。(タイラー・ダーデン)

 

春ねむり

 

 

 

春ねむり- Déconstruction

Release date : 1st October 2021

Stream : https://orcd.co/harunemuri_deconstruction

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