「Mudgikk」と、きーている|Cwondo『Memoride 2』review

ポータブルな私が、生まれる

 

 

TEXT : 風間一慶

 

「Mudgikk」という曲を聴いてみる。淡々としたシンセサイザーとグリッドの伸縮で静かに高揚感を演出するドラムマシン、このコンビネーションが永遠であることはAphex Twinが「Flim」で教えてくれた。

 

曲の中盤に差し掛かるとビートが潜伏し、左右のチャンネルからギターのリフレイン、追いかけるようにCwondoが歌い出す。母音同士を繋ぎ合わせて訥々と発声する、ある意味で鼻歌の延長線上のような唱法を頻繁に用いるCwondoだが、「Mudgikk」ではボイスメモ越しで輪郭のある言葉をドロップする。ここで明かされるのは「Mudgikk」というタイトルが「ミュージック」に紐づいていることだ。そして最後に、Cwondoは〈ポータブルミュージック、ミュージック〉と言い残す。音楽の中で「ミュージック」と自己言及的に語られる中で、その頭に「ポータブル(携帯可能な)」と付されたこと。少しだけ考えてみる。なるほど、これはCwondoというプロジェクトを理解する上で象徴的なワードなのではないか?

 

 

原則的に、「音楽を聴く」という行為の歴史は、再生ボタンを押す側へと委ねられる裁量が肥大化してきた歴史と重なる。聴取体験は長い時間をかけて〈個人〉へとフォーカスされてきた。

 

これにはメディアの変遷が関与している。つまり、レコード文化の発展により複製芸術としての音楽がマーケットの俎上に乗った時期においては、その針の位置のみが再生される地点を指し示していた。この事実においてもコンサートや街角での演奏と向き合うことから個人へと体験の比重は増しているのだが、加速度的にその傾向は進んでいく。

 

もう少し教科書的な説明を続けよう。1970年代以降になるとカセットテープが普及、アトランダムにラジオから流れていた楽曲はエアチェックによって手元に引き寄せられ(たらしい。無論、実践したことはない)、ディケイドの出口である1979年にはウォークマンの誕生によって容易に家の外へと音楽作品を持ち運べるようになった。1980年代より隆盛を誇ったCDはアルバムをトラックごとに管理することによって作品の受容様式を一新し、2000年代以降はインターネットの普及によって半永久的なディグが可能となった。主にグレーゾーンでの鑑賞だったものが、YouTubeやiTunes、さらにはサブスクリプション・サービスの台頭によって公明正大にユーザーの存在が認められ、スマートフォンの中にそれらを取り込むことにより、「聴きたい時に、聴きたいものを、好きなだけ」聴ける状態へと多くの人々が接近している。また、今やプレイリスト文化やSped Upなど、作品の在り方を編集して別のコンテクストへと再接続するカジュアルなリミックス行為も、ごく一般的なものになって久しい。気づかぬうちに私たちは音楽体験にまつわる手綱を握っていたのだ。

 

「音楽を聴く」という行為の個人化。歴史を辿ってみると至極当然であり、もっと言えば複製芸術一般に当てはまる事象なのかもしれない。『Momoride 2』を聴いている時に思いを馳せたのはこんなことだったりする。ほぼ全ての音楽がポータブルになった今、それを聴くという行為は個人の主体性へと帰属している。Cwondoが活動を通して捧げているのは、そのようにして誕生した〈リスナー〉への献身だ。そしてそれは、他ならぬ自身を編集することによって能動的な聴取体験が立ち上がり、〈リスナー〉としてのCwondoと〈クリエイター〉としてのCwondoの境目が溶解することによって完遂する。つまり、『Momoride 2』の中には、音を聴いているCwondoと、それによって手を動かしているCwondoが分かち難く存在しているのだ。

 

 

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Cwondoのライブは独特だ。自身の楽曲に乗せて声を当てることと並行して、自らの身体が放つリズムに合わせて手元の機材を操り、即興的なカットアップやブレイクを生み出すことによって展開していく。音を聴いているCwondoと手を動かしているCwondo、その二者が両立している光景だ。

 

『Momoride 2』のライブ感溢れる楽曲にも同種のダイナミクスが観測できる。例えば「Hikka」では声が不規則にカットアップされる傍らで、柔らかなグリッチが刹那的に立ち上がっては失せていく。鼓膜が震えた瞬間、半ば条件反射のように次の展開が用意されるのだ。続く「Popohipo」はギターのピッチが明滅するように跳ね回り、後に合流するドラムのループによって連続性のあるリフレインへと遡及的に組み替えられる。こうした時間軸の伸縮は、現在進行形で音の取捨選択を行うCwondoのスタイルを反映したものだろう。

 

また、時には楽曲の中に様々な〈リスナー〉としてのCwondoが姿を表す。前作『Momoride』の冒頭を飾る「Op」と同様に、『Momoride 2』の「Panointro」はピアノの旋律から始まる。アルバムの先行シングルである「Toki」が発表された際のコメントで語っていたように、練習中であるというピアノの音声は環境音を孕んでいて生々しい。ここにも練習中の自分の音を辿っているCwondoが確認できる。「Panointro」はそれに加えて声にギターにリズムマシンに……とリージョンが連なっていく構成だ。異なるシーケンスが中盤でストリングスによって束ねられる様には、「Mudgikk」同様にAphex Twinからの影響を感じずにはいられない。「Toku Mitsumete」や「Soobah」など、息を呑むような旋律の数々を発見していくのも『Momoride 2』という広場における歩き方の一つだろう。

 

自身の声を、ギターや練習中のピアノによるリフレインを、豊富なボキャブラリーによるリズムパターンやシンセサイザーの配置によって生き生きと再配置していくCwondo。いわば『Momoride 2』という既に作品自体が自身からまろび出た創作の源泉に対するリミックスであり、現代の聴取体験の活写でもあるのだ。あなたが『Momoride 2』を聴いているのと同じように、Cwondoも『Momoride 2』を聴いている。この同期体験により、私たちはCwondoの、一聴すると無機質にも聴こえるビートと声のカットアップに、ほのかに滾るヒューマニティを感じ取るのだ。

 

同時に、私たちは孤独にもなれる。Cwondoが自身の楽曲の中で一個性の〈リスナー〉へと変容するように、自分の耳に聴こえたものを信じた瞬間、軽やかな〈私〉がポータブルな形で浮き上がるのだ。〈リスナー〉としての〈私〉は、その際に生じる微量のズレとリミックスが算出した差分によって、絶対的に揺るがない形で何度も生まれ直すだろう。ヘッドフォンを付けた脳内にこだまする波は、これまでの私たちの生活同様に、誰にも否定されることがないオンリーワンなトーンに咀嚼される。そしてそのどれもが不可侵の個性として祝福される。「ミュージック」と誰かが言った時、鼓膜を通ってあなたの脳内で反響しているのは「みゅーじっく」かもしれないし、「Mudgikk」かもしれない。

 

 

 

Cwondo – Memoride 2

Release date : Novemeber 26, 2025

Label : Cwondo Cwondo / Tugboat Records | SPACE SHOWER MUSIC

Stream : https://lnk.to/Memoride2

 

Tracklist

01. Panointro

02. Hikka

03. Popohipo

04. Aog

05. Toku Mitsumete

06. Mudgikk

07. Scwyline

08. Akokoda

09. Soobah

10. Toki

11. Balabii

12. Nomosama

13. Apinopunte

14. Guitahh

15. Nuuba

16. Karakara

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