2024/09/15
18年の歴史を紐解く
ダブステップの本質を濁さずにその魅力を日本に伝え広めたパーティーBack To Chillが18周年を迎える。
Back To Chill主宰者であるGOTH-TRADは日本のダブステップ・シーンのアイコンで あり、日本だけではなくダブステップ発祥地であるUKにおいても人気実力ともにトッ プの座に君臨している。GOTH-TRADの活躍によって日本だけではなく海外でもBack To Chillは注目されており、2014年からはレーベルとしても活動し更なる期待が寄せら れている。
GOTH-TRADと共にBack To Chillの立ち上げから現在まで参加している100madoも 2000年代前半からダブステップを国内でプレイし、DJ/プロデューサーとしてこのジ ャンルをプッシュしつづけた重要人物として知られている。レギュラー陣であるHELKTRAM、CITY1、MØNDAIGAIもそれぞれ特有のスタイルを確立しており、世界 に通用する強力なダブステップを国内外のレーベルからリリースしている。
2006年9月にスタートしたBack To Chillはルーツに根差したディープなベースサウン ドを用いたダブステップを主軸として柔軟に時代の変化を受け入れながら核となる部 分は崩さず、ダブステップの可能性を拡大化させ東京のクラブ・シーンを中心に幅広 くダブステップを浸透させていった。Back To Chillはダブステップというジャンルが 発展する過程において日本から明確なビジョンを持って参入し、その発展に大きく貢 献した。また、彼等はダブプレートやサウンドシステムという重要な要素にも初期か ら徹底して拘り、カルチャーとしてのダブステップを伝えることに心血を注ぎ、その 成果は今の日本のダブステップ/ベースミュージック・シーンに如実に反映されている。
ダブステップをメインにしつつもグライム~UKG~ドラムンベース/ジャングルといった血筋の近いジャンルだけではなく、ポスト・メタル~インダストリアル~実験音楽など、Back To Chillが追求するディープなサウンドに共鳴したものは積極的に取り入れて いき、Back To Chillでしか起こりえない刺激的なクロスオーバーを展開させ、ダブス テップをダンスミュージック以外のリスナー層にまで届けた功績も見逃せない。この対談インタビューではBack To Chillが辿って来た歴史から今回来日するGOTH- TRADと親交の深いスペシャル・ゲストのMALAに関してや18周年記念パーティーに対する想いなどをメンバーに話して貰った。
Text : 梅ヶ谷雄太(MURDER CHANNEL)
Photo : paansan
──まずはパーティーの名前になっている「Back To Chill」という曲の背景について教えてください。
GOTH-TRAD(以降G):もともと「Back To Chill」は俺の3rdアルバム『Mad Raver’s Dance Floor』(2005)に収録されている曲なんだ。『Mad Raver’s Dance Floor』を出す前にノイズのアルバム(『The Inverted Perspective』)をリリースしているんだけど、そこでノイズはやりきったと感じたから、次のアルバムではダンスミュージックに回帰することにした。自分が影響を受けたUKのレイヴ・ミュージックの要素を詰め込んだアルバムを作ろうとね。ノイズを作っているときでもダンスミュージックはずっと聴いていて、特にグライムには夢中になってた。2003年くらいにWiley 「Morgue」を聴いてすごい衝撃を受けて、そこから自分でもインストのグライムを作ろうと思って出来上がったのが「Back To Chill」なんだ。myspaceに「Back To Chill」をアップしたら「日本でダブステップを作ってるプロデューサーがいる!」と海外で話題になって、UKのレーベル(Skud Beat)から「Back To Chill」をリリースしたいと話があったり、ラジオのDJから曲をプレイしたいからダブプレートを作らせて欲しいと連絡を貰ったりとか良い反応があった。「Back To Chill」がキッカケでダブステップ・シーンと繋がることになっていったから、この曲「Back To Chill」を名前にしてイベントを立ち上げたんだ。
──「Back To Chill」はグライムの要素も強く反映されていると思うのですが、ダブステップにグライムをかけあわせるようなビジョンがあったのでしょうか?印象的なガンショットのサンプルからはアグレッシブであったりダーティーな雰囲気も感じさせますが、どういった世界観のもとに曲は作られていますか?
G:『Mad Raver’s Dance Floor』は「ある一夜に起きた出来事」を表現したくて、そういったイメージでアルバムを作った。リスナーの想像力を掻き立てるアルバムを作りたかったんだ。1曲目から10曲目まで繋がっているのもそういうこと。アルバムのオープニングは「Paranoia」というアッパーなレイヴ・チューンなんだけど、そこからドープなトラックでチルアウトする流れで「Back To Chill」というタイトルを付けた。危険な夜の雰囲気を出したかったからドープな音色をメインに使って、ガンショットはグライムでよく使われていたからそこも意識して取り入れた。『Mad Raver’s Dance Floor』では「Back To Chill」が一番ドープなトラックだね。その当時はダブステップを作っている意識は無かった。
──曲の世界観はそのままパーティーとしてのBack To Chillに受け継がれていますね。Back To Chillのパーティーはダブステップを軸にドープなサウンドが鳴らされているイメージがあります。
G:「Back To Chill」のドープな空気感には俺がそれまでにアブストラクト・ヒップホップ~イルビエント~ダウンテンポを作ってきた背景が反映されていると思う。そういったジャンルとダブステップは空気感がマッチしていたし、ドープなサウンドというのが俺の根本にはあるからね。
──初歩的な質問なのですが、Back To Chillの設立メンバーであるGOTH-TRADさんと100madoさんはどうやってダブステップに出会ったんですか?
100mado(以降100):京都に住んでたときにアブストラクト・ヒップホップが好きな友達とイベントを一緒にやってたんだけど、その友達が「2ステップはいつか化ける」てずっと言っていて。当時の2ステップはドレスコードがある音楽という認識だったから、ストリート気質のアンダーグラウンドな人達からは反発があったんだけど、その友達はずっと2ステップをプッシュしてた。あるとき彼に「どんなレーベルのレコードを買ってるの?」て聴いたらTempaを教えてくれて、そこから掘り下げていったのが始まりかな。ダブステップにハマるキッカケになったのは2004年にリリースされたDJ Hatcha『Dubstep Allstars Vol.1』とDJ Slimzee『Bingo Beats Volume 3』、それからBBC Radio 1 で放送されたJohn Peelのトリビュート番組でのDigital Mystikzのミックスを聴いたのが大きかった。俺が本格的にダブステップのDJを始めたのは東京にきてから。
G:俺と100madoは同じくらいのタイミングでダブステップとグライムを聴きはじめてるよね。俺がダブステップに一番最初に触れたのはRephlexからリリースされた『Grime』というコンピレーション。Aphex Twinがコンパイルしたグライムのコンピレーションだと思って買ったら想像してたのと違くて驚いた(笑)。ガラージとダブステップの中間みたいなトラックでMark One(MRK1)、Plasticman(Plastician)、Slaughter Mob、Loefah、Kode9、Digital Mystikz(MALA & COKI)が参加していた。『Grime』を聴くまではDizzee RascalやRoll Deepみたいなラップがあるグライムを聴いていたからすごく謎だったね。すぐには理解できなかった。でも、あの頃のRephlexはすごく良いリリースをしてたから『Grime』も間違いないと思って。ダブステップのシーンを知った後に、このコンピレーションに収録されているような曲がそのルーツなんだと理解できた様な気がする。
100:『Gime』の収録曲はみんな個性がバラバラだったよね。こういうのをもっと欲しかったんだけど、日本では全然売ってなかった。あってもごく少数だけ。だから個人で輸入するか曲を作るしかなかった。
──Back To Chillの初期はDUBSTEP/GRIME/MAD RAVEというキーワードを掲げてパーティーを開催されていましたよね。Back To Chillにとってグライムの存在は大きかったのではないでしょうか?
G:グライムの存在はデカかったね。グライムはダブステップの入り口みたいなものだった。Back To Chillをはじめた頃はまだダブステップとグライムは交わってる部分が多かった。俺がFWDに遊びにいったときはDJ SlimzeeとRiko Danが出ていたり、ダブステップのDJにグライムのMCが付いたりしていてクロスオーバーしていた。2004年にUKでライブをしたときにレコード屋でグライムのDVDを買ったんだけど、そのDVDにはグライムのクラッシュ(MCのバトル)が映っていて俺はMCよりも裏で流れてるトラックをめちゃくちゃ聴いてた(笑)。MCも好きなんだけど、トラックにより惹かれていったね。あと、当時ロンドンにあったHERBALってクラブでやった俺のライブにグライムのMCがどんどんはいってきてさ、グライムが盛り上がっているのを肌ですごい感じた。Dubstep Forumが出来てからダブステップとグライムは差別化されるようになって自分達も理解していった感じかな。
100:ゴジラをサンプリングしたVirgoの「Monster」というグライムのレコードをKode9はよくプレイしてたね。あの頃はグライムのレコードをプレイするダブステップのDJは少なくなかったよ。
G:Kode9がBack To Chillでプレイしたときにさ、100madoが「Monster」をかけてるのをKode9が見てぶち上ってたよね(笑)。Kode9はグライムとダブステップをうまくミックスしてた。繊細な曲を作るのにDJはルードボーイ感が強かったね。
100:当時は140BPMのレコードがまだ少なかったし、ダブステップだけでは補えなかったのもあるかな。
G:そうだったね。(ダブステップの)レコードが足りないから2ステップとかブレイクスとかも混ぜてた。そういうのを混ぜないと1時間のDJセットが成立しなかったんだよ。あと、ダブステップのレコードがとにかく少なかったから同じレコードが3~4回プレイされるのは普通だったね。DMZとTempaは特に多かった(笑)。だから、自分の曲を少しでも足していかなきゃ間に合わなかった。
100:海外のダブステップ・シーンもそんな感じだったよね。DJミックスをみてもダブプレートが多くて。同じことをしないと仲間に入れて貰えないというか…そういうシーンだというのは思ったかな。
──Back To Chillをダブステップ専門のパーティーとしてはじめようと思ったのはいつ頃だったのでしょうか?
G:2006年になってからだね。ダブステップはプロデューサーが曲を作ってDJもするとか、作ったばかりの未発表の曲をダブプレートにして現場(クラブ)でプレイするとか、現場でしか聴けない曲でお客さんが盛り上がっているとか、そういったカルチャーをダブステップを通じて知った。ダブステップをキッカケにDJをはじめるようになったんだ。俺はそれまで自分の曲でライブしかやってなかったね。ダブステップに出会うまでは自分のオリジナルだけをプレーしたかったから、DJを本気でやりたいとは思ってなかった。でもMALAのプレイを聴いて考え方が変わったんだ。MALAがプレイしている曲のほとんどが自分の曲や自分のレーベルのダブプレートで、これはもうライブだなと。ダブステップの音楽的な部分だけじゃなくて、そういったカルチャー的なところも広げたくてBack To Chillをはじめた。
──パーティーがはじまるまでの過程を教えてください。
G:まずはプレイヤーを集めようと思ってネットで検索しまくったら、少し前に日本でダブステップのパーティーをやってる人を見つけたんだけど、それが100madoだったんだ。それでメールを送って連絡を取るようになって話をしてみるとお互いアブストラクト・ヒップホップとノイズを作っていたり、聴いている音楽も近かった。
100:そのパーティーはBlackdownが日本にきたときのだね。俺はGOTHを知ってたし、ノイズのアルバムも聴いてた。あと、自分以外に日本人でダブステップをクラブでプレイするのを見たのはGOTHのDJが最初なんだよね。それはKAIKOOのイベントだったんだけど、GOTHのDJでフロアはかなり盛り上がってたけど「なんなんだこの音楽は」みたいな感じがあった。
──2006年9月7日に第一回目のBack To Chillが代官山SALOONで開催されていますが、このときのことを覚えていますか?
G:…俺は全然覚えていない(笑)。
100:最初はデイイベントで始めたんだよね。一回目にはお客さんが90人以上来てくれてた。男女比率もバランスが良くてディープな音でもパーティーとして成立するのがわかった。あと、GOTHがダブステップはこれからの音楽だから若い人達にも来て欲しいと言ってて、それで入場料を下げてデイイベントにしたと思うよ。
──初期はどういったジャンルの人達から関心を寄せられていましたか?
G:ドラムンベース界隈やブレイクコア系の人達はBack To Chillに関心を持ってくれてた。俺とSKEさんはKAIKOOとかアンダーグラウンド・ヒップホップと繋がりがあったから、そういった層からも注目して貰ってたと思う。
100:Back To Chillの初期はアンダーグラウンド・ヒップホップとかアブストラクト・ヒップホップが好きな人が来てたイメージだね。
──Back To Chillの一回目からご自身の曲はプレイされていたんですか?
G:曲数は少なかったけど何曲かはプレイしてたね。
100:プロデューサーがDJをやるというのがコンセプトだったからね。
──Back To Chillの一回目にはGOTH-TRADさんの「Cut End」はもうプレイされてたんでしょうか?
G:1回目のときにはまだなかったね。すごく覚えているのが、Back To Chillの2~3回目のときにサウンドチェックで「Cut End」をかけたんだけど、その瞬間にみんなの表情が変わった。SKEさんが「これ誰の曲!?」て目ん玉ひん剥いてた(笑)。その一か月後くらいにmyspace(2003年に登場したSNSの先駆け的サービス)に「Cut End」をUPしたらすぐにMALAから連絡があってリリースすることになったんだ。
100:その瞬間をすごく覚えてる。これはいよいよ本格的に始まってきたなと。みんな確信したよね。
──まだダブステップのレコードが少なく、自分達の曲を増やさなければいけなかったのであれば曲作りのペースにもかなり影響を与えたんじゃないでしょうか?
G:Back To Chillをはじめてから6~7年くらいは曲を作りまくってたね。ダブステップが全盛期でもあったから海外ツアーに行く前は出来るだけ新曲を沢山作っておいて、向こうで会ったDJとダブプレートのデータを交換して、自分の武器をどんどん集めていっていた。
──Back To Chillの活動初期を振り返って最も苦労したこととはなんでしょうか?
G:当時から日本のクラブ界隈においては、みんな知ってる有名な曲で盛り上がるってのが普通で、ダブステップのカルチャーとは真逆だったからそこはすごく苦労したよ。まだ未発表のヤバい曲、いわゆるダブプレートを現場でちゃんとした音圧の中で聴ける楽しみを伝えていくというのがね。UKではBBCをはじめRinse FMやKiss FMとかのラジオでダブステップを扱う番組があって、若者は毎週それを聴いて週末に現場に行く流れがあった。ラジオでダブプレートがプレイされたら Dubstep Forumで話題にしたりとかね。Back To Chillをはじめたときはそういったカルチャーを伝えるのが難しかった。俺はMALAやSkreamからダブプレートを貰ってプレイしてたけどお客さんには伝わっていなくて。だから、マイクで説明したりしてた(笑)。「この曲は新曲です」とか「このダブプレートはMALAのです」とかさ。俺だけじゃなくてみんなやってたよね。DJプレイにしてもリワインドとかもね。ヤバい曲はリワインドして頭から聴きなおすとかはあんまり無かったから。
100:ドラムンベースは90年代からリワインドのカルチャーは日本にもあったけど、MCがいて成立してる感じだった。だから、MCがいない状態でリワインドすると不思議な感じになっちゃってたね。
G:Skreamがはじめて日本に来たときに音楽ライターの人がダブステップのリワインドのカルチャーを知らないから「Skreamは曲をすぐに止めて、またかけ直したりして意味不明だ!」みたいなことを言ってて。お客さんも耐性がついていないからキョトンとしてた。そう考えるとリワインドは浸透したと思う。ダブステップに限らずにね。
(Back To Chill @ saloon, 2006)
──Back To Chillは初期からずっとリワインドを徹底してやっていた印象があります。それによって日本のダブステップ並びにベースミュージック界隈にリワインドは浸透したと思いますよ。
G:そう言って貰えるのは嬉しいね。(リワインドを)すごいやってたから。リワインドはそこに行くまでの流れに意味があると思うんだ。自分の未発表曲をプレイしてお客さんを沸せてリワインドするという流れが美しいんだよね。ヤバい曲に反応しているお客さんもカッコいいし、音楽の良さだけで盛り上がっている状態を表している。
俺はダブステップはサイクルだと思ってるんだ。UKではラジオ、リスナー、現場、リリースというサイクルがあって、まずはラジオでダブプレートがプレイされてリスナーが話題にする。そこから現場でプレイされて動画で拡散されたり、 Dubstep Forum でさらに話題になっていって、一年くらい経ってようやくリリースされる。このサイクルが商業的に成り立っていて、俺はそれを日本にも作りたかった。最近だとHamdiの「Skanka」がそうだよね。あの曲は結構前からダブプレートで出回っていてリリースされてから大爆発した。ああいった現象には夢がある。1曲で全てを変えられるのがダブステップ。
──Back To Chillのパーティーリポートに記録されていたのですが、後にレギュラーDJになられるENAさんがお客さんとして遊びにいったときに自分のレコードを渡したらその場でプレイされたそうですね。こういった交流の仕方はUKのダブステップ・シーンに通じるものがあると思います。
G:ダブステップを作っている人が集まる場所にもしたかったんだ。DJ同士の繋がりはあったけど、プロデューサー同士の繋がりは少なかった。プロダクションとかに関して情報や意見を交換する場所が日本には無かったね。レーベルとかクルーとかの縛りを超えて繋がれる場所が欲しかった。
100:個人で掘ってなんぼだったから。Back To Chillまではそういう場所はなかったと思うよ。
G:みんなでカッコいい曲を作ってダブプレートを交換できるようになって高め合うようにしたかった。それは俺が知らないところで派生していってもいいし。とにかく姿勢を見せたいというかね。DJだけをするのが間違いではないけど、世界をみたときにプロデュースをしながらDJをやってる人達が世界的に成功していっている。当時は特にね。それを日本にも浸透させたかった。自分でプロデュースしてオリジナルのものを作ってDJをすればオリジナリティに磨きがかかるし、そういう人達が増えれば全体のレベルが上がる。ダブステップに限らずに。
<clubasia期、新メンバーの加入>
──2008年から場所をclubasiaに移されましたが、場所を変えたことによってどういった変化がありましたか?
G:この頃は世界的にダブステップが盛り上がったときでもあったね。日本でもダブステップのDJが増えていてBack To Chillでやりたいと言ってくれる人もいた。プロデューサーも増えてきたからそういう人達は優先的にプッシュしていたんだけど、そういったことから集まってきてくれたのが彼等(HELKTRAM、CITY1、MØNDAIGAI)。DBKNもasiaから参加してくれてる。
DBKN(以降D):REMIXER REMIXというブレイクスのパーティーに参加していた時にBack To Chillにセカンドフロアをやってもらったり、GOTHとは別の企画で一緒に活動したりもしてて。俺としてはBack To Chillにはシンパシーがあったんで参加しがいがありました。それまで結構いろんなパーティーに関わってたけど、どれも結局は後追いというか…。海外ゲストに頼ってる部分が多いように見えたんですけど、Back To Chillは自分達で全部やってる感じがあって。ダブステップが盛り上がってきたときに始まっているのも必然的に思えたし。
G:Back To Chillの中でVJのDBKNは一番客観視できてる人だと思う。観客の気持ちも分かってるから重要な人なんだ。
100:DBKNが言うように自分達で曲を作って小規模ながらもパーティーを続けていたのはカウンター的なところはあったかもね。俺はあった。
G:西洋からきた音楽を扱っているパーティーの場合、その規模を大きくするには海外からゲストを呼ぶのがマナーだった。だけど、俺は自分達から発信できると思ってた。そこのポテンシャルは持ち続けてたね。そういえば、ニシモト君(NISHIMOTO IS THE MOUTH)もasiaでやってた頃によく遊びに来てくれてた。めちゃくちゃお洒落な人がフロアに居るなって思って、よく話したりしていたんだ。そこから少し経って、アーティスト・デザイナーとしてのニシモト君と再会したんだ。最近ではバンドもはじめてて共演することもあって。そういう流れもあって、今回のTシャツのデザインをお願いしたら快く引き受けてくれて。
──clubasiaの元店長でBack To Chillのオーガナイズにも関わられていたヤマキンさんにもお聞きしたいのですが、どういった理由でBack To Chillをasiaに迎え入れたのでしょうか?
ヤマキン(以降Y):2001年くらいからasiaで働くようになってその後自分でもパーティーを作るようになったんですけど、カッコいい音楽をやりたいという気持ちが強くあって。そこでBack To Chillに声をかけさせて貰いました。当時はダブステップのことは知らなかったんですけど、Back To Chillはカッコいいと思って。あと当時から彼等はオリジナリティがあって、それは今もずっと変わっていないですね。
G:asiaでやってたときにはBoris、ENDON、Black GanionやThe BodyとかのバンドもBack To Chillには呼んでたじゃない?ああいうのは理解できた?
Y:正直…大丈夫かなって(笑)。すげー下調べしましたから(笑)。でも、そのときにはお互い信頼関係はできてたし、やることに間違いはないとは思ってました。
G:俺は文脈を大事にしていてBorisとはコラボレーションをしてるし、ENDONとBalck Ganionはリミックスも作っているから、ちゃんとした繋がりは見せてるんだ。だけど、クラブ側からしたらBack To Chillはめちゃくちゃ変わった立ち位置だと思うよ。
100:最初からずっとオルタナティブであり続けてるし、その頑固さはあるよね。
G:ダブステップといってもいろんなスタイルがあってさ、俺達はなんでもかんでもやっている訳じゃない。ある一定の方向性は決まっていて、その中でみんな勝負している。すごく細かいところを攻めているのは十分わかっている。そのダブステップの方向性にヘヴィーウェイトな音楽を混ぜてやりたかった。asiaに移ってからは幅を広げられたし、ステージもできたからBoris、ENDON、The Bodyみたいなバンドに出て貰ったりね。そこから違うジャンルの人達にも知って貰えたと思う。俺はダブステップだけじゃなく、どんな音楽を作るときでも新しいものを作りたい。ダブステップを作るときでも違うジャンルから持ってきた要素を消化して落とし込んでいる。そうじゃないと新しい音楽は生まれないから。そういうことをBack To Chillでもやりたい。
──HELKTRAMさん、CITY1さん、MØNDAIGAIさんはどのような流れでBack To Chillに加入されたのでしょうか?
HELKTRAM(以降H):俺は上京してきたのが2010年だったんですけど、こっちにきて最初に行ったパーティーがBack To Chillでした。インターネットでダブステップをディグると必ずGOTH-TRADが出てきて。曲を聴いたらめちゃくちゃヤバくて、最初は外国のアーティストだと思ってました(笑)。そこからBack To Chillというダブステップのパーティーが東京にあることを知って東京に行ったら絶対に行こうと決めてました。それで実際に現場に行ったら衝撃でしたね。そこからBack To Chillに通うようになって、だんだんとDJや曲作りをやるようになりました。最初はDJ DoppelgengerのパーティーでDJをやらせて貰うようになって、そこからBack To Chillに繋がっていって1FのBARフロアでDJをやらせて貰うようになって。2011年くらいにGOTHさんにCD-Rのダブプレートを渡してから話すようになって今に至ります。
CITY1(以降C):僕は2002~2003年頃にグライムを聴いて自分でもトラックを作るようになって、Skreamの1stアルバムを聴いてからダブステップにハマっていきました。その頃からBack To Chillはチェックしてましたね。当時は沖縄に住んでいたので遊びにいくことは出来なかったんですが、myspaceを通じてクルーの方に曲を送って聴いて貰っていました。2011年に上京してasiaの別のパーティーでダブステップをプレイしていたら、DJのEndlessとyuittyが話しかけてくれて。そこから繋がって2012年くらいからBack To Chillに出させて貰うようになりました。
100:この二人が入ってきたときくらいからよりダブステップが浸透してる感じがあったね。ダブステップが好きで真剣に音楽と向き合っている人が増えてきたのが感じられた。
MØNDAIGAI:僕は2014年からです。πというDJに誘って貰って、そこからです。そのときは曲は作ってなくてDJだけしていました。
G:どういうキッカケで曲を作り始めたの?
M:(Back To Chillの)周りがみんな作っていて面白そう半分悔しい半分で。
──Back To Chillはクルー同士で曲を聴かせ合って意見を交換するそうですが、最初に貰った意見など覚えていたりしますか?
C:最初はめちゃくちゃ緊張しましたけど、そのときはダブステップについて話せる人が全然いなかったので単純に感想を貰うのが楽しみでもありました。GOTHさんには「上はしっかりプログラムされてるけどベースが弱い」と言われました(笑)。自分が把握している限りでは沖縄にレゲエ関係以外のサウンドシステム・カルチャーはなかったので、ベースのグルーブで踊る感覚がわからなかったんです。だから、当時の自分の曲は140BPMで雰囲気を作ってベースもワンノートのループみたいな感じだったんですよ。僕だけじゃなくて、ベースに感覚をフォーカスして曲を作る人は当時少なかったと思います。
H:一番最初に言われたのはキーの高さかな。細かいプロダクションよりもまずはそこでした。今だったらダブステップやベースミュージックを作っていたらキーの話は普通にしますけど、それは鳴らせるクラブが増えたからで。当時の日本のクラブは高いキーしか鳴らせなかったからその概念は無かった。
C:サウンドシステムで鳴らすと一発で正解がわかるんですよ。空間をベースが埋めるからいらない音がすぐわかる。そうやって研ぎ澄まされていきました。
M:俺はAbletonを使ってるならSpectrumを使えって言われましたね。そこから毎回マスターチャンネルに刺すようにしてます。
G:俺もUKに行ってサウンドシステムでやるようになってからわかるようになった。だから、自分の『Mad Raver’s Dance Floor』を今改めて聴くとベースのキーが高い。当時は日本で低い帯域をしっかり鳴らせるサウンドシステムが無かったからね。だからUKのプロデューサー達の曲を分析しまくって、どの辺りの周波数を鳴らしてるのかを探っていった。DMZでプレイして分かったのが40Hzも全然鳴るし、その辺りがサウンドシステムでやるうえで重要になってくる。60Hzの低音の感じ方と40Hzの低音の感じ方って、胸か膝かみたいな。足で感じる振動か、胸なのか腹なのか。それは曲作りにおいてかなり大事なポイントになってくる。100madoにも言ってたよね。「もっと3音くらい低音を下げていいよ、そうするとキックの位置も下がるはずだから」とか。大抵デモを貰ったときに思うのが(ベースが)腰高なんだよね。サウンドシステムで鳴らす感覚がないから。みんなはBack To Chillのメインフロアでやって感覚を掴んでいったよね。曲の作り方も変わってスキルが上がっていって海外のレーベルからリリースしていくようになった。もしかしたら、こういったことが俺達がやってきたことの一番価値がある部分なのかもしれない。
H:GOTHさんのすごいところがプロダクションのことを全部話してくれる。他の人は隠したがるけど、GOTHさんは全部教えてくれるんです。デモを渡しても聴いて貰えないことなんて普通にあるけど、GOTHさんはちゃんと聴いてくれてアドバイスをくれる。そのお陰で俺達も海外からリリースできるようになったし。
C:イベント終わってから勉強会とかやってたよね。
G:それでカッコいい曲ができたら俺がかけたいから。カッコいい曲を作って欲しい。実際みんなの曲めっちゃかけるし。もしかしたら本人よりもカッコよくかけてるかも(笑)。
──当時はみなさんCD-Rに曲を焼いて交換されていたんですね。
H:MP3やWAVのデータで曲を送るってのもありましたけど、現場で渡すことに意味があると自分は思っていて。現場でしか聴けない音楽をやっているし。
G:俺とMALAもそんな感じだった。一番最初はmyspaceで曲を送ったりメッセージをやり取りして、俺がロンドンに行くときにFWD(ロンドンの伝説的ダブステップパーティー)で会おうって話になって、まだ英語がうまく話せなくて片言だったけど、そこではじめて会って話せた。次の日にMALAが出演するSOUL JAZZのパーティーにも誘ってくれて、そのときにDMZ、DEEP MEDiのカタログとホワイト盤をごっそりくれたんだ。MALAから「このレコードを日本でもプレイして欲しい。いつか僕も日本に行きたいんだ。」て言ってくれてね。俺はこの約束を絶対に守りたいと思ってDRUM & BASS SESSIONSの神波さんに協力してもらって2007年春にMALAを日本に呼べた。ネット上でのやり取りだけだど味気ないけど、面と向かって話をして理解するのは大事だと思う。
(GOTH-TARD & MALA in London, 2006)
<MALAの魅力とBack To Chill 18周年にむけて>
──ここで改めてお聞きしたいのですが、Back To Chill 18周年に出演するMALAとは皆さんにとってどんなアーティストでしょうか?
G:Back To Chillの初期はDEEP MEDiとDMZのレコードは欠かせなかった。Back To ChillにとってMALAの存在はとても大きいし、影響はみんな受けてるはず。
100:一言で簡単にまとめられないけど、MALAにはパンク的なものを感じるんだよね。プロダクションもDJも活動当初から人とは違うことをずっとやっている。
G:俺はMALAとは何回も一緒にプレイしているし、B2Bもやっているんだけど毎回刺激を受けてる。思い出は沢山あるんだけど特に記憶に残ってるのはUKのリーズでSUB DUB x DMZのイベントに出演した時、MALAが自分のセットの最後に、リリース前のDigital Mystikz「Return II Space」をプレイしたんだけど、あの瞬間はすごくショッキングだった。すぐMALAに「これ誰の曲!?」て聴いたら「俺のだよ!」と言われてさ、マジでバケモンだと思った(笑)。MALAはメロディのセンスも素晴らしいし、少ない音数でミニマルに展開させてストーリー性を出すところとか本当に天才だよね。俺も曲の展開をちゃんと作っていくタイプだから、そういう部分は正直ジェラシーを感じる。
100:(MALAを)表面的に真似しちゃうと所謂ダンジョン・サウンドみたいなっちゃうんだけど、そういうのとは全然違う。とことんディープなんだけどキャッチーでもあるよね。
G:MALAが2004~5年にリリースした曲はいまだにフロアで使える。彼の音楽は死なないんだよ。それは音楽を作る上で大事なことだと思うんだ。どれだけ時間が経っても自分の曲をかけるようにしたい。MALAからはそういうことも見習った。
H:MALAはダブステップのパイオニアの一人ですけど、そのなかでも一番特殊な人であると思います。MALAが沖縄でプレイしたことがあるんですけど、そのときは1曲目にBarrington Levy「Vibes is Right」を流してからセットをスタートさせて、なんだかMALAの人格を表してるようで印象的でした。
G:あのスタイルは絶対に真似できない。真似したら事故る(笑)。MALAだからできるんだよね。
──Back To Chillを立ち上げた当初に目標としていたことはどれだけ達成できたと思いますか?
G:30%くらいかな…。Back To Chillをレーベルとしてもっと動かしていかないとな…とかは常に思っている。あとパーティーに関して言えばダブステップにフォーカスしたDJが現状少ないから、なかなかブッキングのバリエーションに悩んでるね。ダブステップをプレイするDJは増えたけど、ダブステップを専門にやるDJが少ないのが現状。
Y:いろんなところにいっちゃうからね。
G:それは多分コロナもちょっと影響してると思うんだよね。コロナ禍に若い子達はネットとかで音楽を掘り下げていって、世の中にはカッコいい音楽がいっぱいあることを知ったんじゃないかな。そういったカッコいい音楽を消化させたDJの子達が沢山でてきた。ダブステップだけではなくてトラップ、ジャングル、テクノもかける。それは悪いことではまったくないんだ。DJがカッコよければね。DJのスキルは高いし選曲もいいけど掴みどころが無いというのはあるからBack To Chillに呼べるDJを見つけるのが難しくなってきてる。
100:完全に個人的な話だけど、Back To Chillが始まったころはダブステップはとてもニッチなものだったから、もっとテクノみたいに分母がでかくなって欲しいと思ってた。悪い意味でのオタク的要素が無くなって普通にダンスミュージックが好きな人がフラッと遊びにきて楽しめるようにならないとヘルシーじゃないなって。でも、今はそうなってる。俺が思っていたよりもダブステップには多様性が生まれているし、すごく良い状態になっていて嬉しい。
──昨今では18年続くパーティーというのも珍しく貴重であると思いますが、これだけ長く続けるビジョンは当初からあったのでしょうか?
G:あったあった。俺は全ての活動に対して10年単位で考えてるから。長く続くような術をチョイスをしながらやってきてる。勿論、それはサポートしてくれているクルーのみんなとヤマキンの存在がデカいよ。続けることは絶対メリットになる。そのメリットは10年後、もしかしたら20年後に帰ってくるかもしれないけど、続ける先には何か起きる。だから、まずは楽しく無理なく音楽を続けてやっていけたらいい。今は二か月ペースでBack To Chillを開催しているけど、ここに来ればカッコいい音楽は聴けるし音楽の話もできるから、みんなで面白いことをこれからもやっていきたいね。Back To Chillに関しては参加してくれているみんなにメリットがあるようになればいい。
──それでは最後にBack To Chill 18周年パーティーに向けての意気込みを聞かせてください。
H:節目の年でもあるのでGOTHさんのBack To Chillへの想いと俺達がやりたいことがプレイを通じて伝えられるようにしたいです。DJ KRUSHさんも出てくれるし、いつもとは違ったお客さんも来てくれると思うのでBack To Chillのヤバさをぶつけたい。
C:20年目も見えてきているので、それに向けてステップアップしていければと考えています。ベースミュージックの幅広さもこの一夜で体験できると思うので是非遊びに来てください。
M:ベストを尽くします。
H:それだけ!?!?(笑)
G:MØNDAIGAIはカッコいい曲を作れれば良いみたいな人間だから意気込みとかないよ(笑)。ただ、カッコいい曲を作ってみんなに披露したい気持ちはあるはず。
D:Back To Chillの周年はびっくりするくらい良いときがあるんですよ。まだまだ可能性を感じさせてくれるっていうか…。年一でやってるようなパーティーじゃ生まれないものがある。本当に積み重ねているその賜物なんです。
100:メインもガッツリだけど東間屋のほうはバラエティにとんでいるからこっちも楽しみにして欲しい。俺は(メインとの)ブリッジになるようなDJをしようと思ってる。
──ちなみにGOTH-TRADさんは今回ライブセットになっていますが、それはなぜですか?
G:それはぶちかます為だよ(笑)。DJでもいいんだけど、ライブのほうがダブステップだけじゃなくエクスペリメンタルやスロウテンポなトラックまでフレキシブルに出来るんだ。勿論DJでも自分の曲はかけるけど、100%のGOTH-TRADではないから。ライブセットだと100%自分を出せる。それから、パーティーの見どころとしてはKRUSHさんとMALAの空気感の繋がりをみたい。これは絶対ヤバいと思うよ。しかも、MALAは(Blackout Set)という照明をほとんど使わない特殊なスタイルを日本で初披露するから現場で体験した方が良い。彼は絶対ヤバいダブプレートをたくさんプレーするはずだから、全てのベースミュージックファンは絶対に見逃せないよ。ダブステップは浸透したけど、それでも偏った解釈をしている人が多いと思う。それは、メディアに取り上げられがちなハイプなダブステップで認知が広がっただけで、本当にヤバいものは現場でしかわからないものがあるから。Back To Chillはただのパーティーじゃなくてメディテーションもできるしダンスもできる。Back To Chillはダブステップにおいて最先端なものが聴けて特別な体験ができるはずだからこの機会に是非来て欲しい。
MALA in Japan feat BACK TO CHILL 18th Anniversary
2024年9月22日(日/祝前)
OPEN/START 23:00
会場:
MIDNIGHT EAST (Spotify O-EAST ⇄ Azumaya )
東京都渋谷区道玄坂2-14-8
https://shibuya-o.com/east/schedule/mala-in-japan-feat-back-to-chill-18th-anniversary/
入場料:
DOOR: ¥5,000
ADV: ¥4,000
BEFORE 12PM / UNDER 23: ¥3,000
チケット発売日: 8月9日 18:00
ZAIKO: https://midnighteast.zaiko.io/e/MALA-in-Japan-BTC18th
LINE UP:
=Spotify O-EAST=
MALA
DJ KRUSH
SAMO
HELKTRAM B2B MØNDAIGAI
DBKN -VISUAL-
and
GOTH-TRAD (LIVE SET)
=AZUMAYA=
CYBERHACKSYSTEM
EVE
Medical
ykah
MEME B2B yuitty
CITY1
100mado
=FOOD=
TAKOBAR
MAGHARIBI
–
BACK TO CHILL
Bandcamp: backtochilltokyo.bandcamp.com
SoundCloud: soundcloud.com/backtochill
Instagram: @backtochill
X: @backtochill
Official Website: backtochill.com
category:FEATURE
tags:Back To Chill
2021/07/24
ポストブラックメタルの新解釈、詩世界への探究心 オルタナティブハードコアバンドmoreruのボーカルみちるのソロプロジェクト、みchillが新作EP『TOKYO TRUE BLACK METAL』をリリース。 夏をテーマにした今作は、バンド形式では表現不可能な現行トラップシーンやハイパーポップの可能性を追及しており、ポストブラックメタルの新解釈や詩世界への探究心を基盤にし、現行音楽シーンの表現領域を拡大する事を目的とした作品であるとのこと。また、本日7月24日は新宿spaceにて開催されるlIlI主催のパーティーに出演予定。 —————— みchill – TOKYO TRUE BLACK METAL Release date : 21 July 2021 Stream : https://linkco.re/3RRsPPEA Tracklist 01. Sorrow 02. 999 03. LOVE2 04. Bye.
2019/01/31
突然SALEMのサンクラに上がった曲は新曲なのか。 本日、SALEMの新曲と思われる『Come Back To You』がサンクラで公開された。URLの最後にはdemoと記されている。特に正式なアナウンスもなく、これは一体何を示しているのか。もしや活動再開?アルバムリリース?ストックを公開しただけ?全然わからない。実際聴くまで疑っていたが、再生するとディレイの効いたスネアが聴こえてきた、、これは本物かもしれない。 https://soundcloud.com/salem-official/come-back-to-you-demo SALEMはJohn Holland、Heather Marlatt、Jack Donoghueによるプロジェクトである。2006年頃から活動はスタートし、Robert Disaro主宰レーベルDisaroやその周辺で無数に出現したアーティストと共に初期ウィッチハウスシーンの基盤を作り上げた。そしてSALEMだけはそのシーンを超えた存在となった。いくつかのシングル、唯一のアルバム『King Night』、最後の作品となったEP『Im Still In The Night』。2011年以降、復活の噂もあるにはあったが、音源が公開されたのは今回が初となる。実は今年に入り、SalemのSpotifyに『Wistful』なる曲も上がっており、この曲に関しては”Spotifyあるある”だと思っていたが、『Come Back To You』の公開により、この曲ももしや?という感じになってきた。昨年はoOoOO、White Ringが復活したとはいえ、まさかSALEMは絶対ないと思っていたが、今後の続報を待ちたい。(と言って何もないまま何年も経つこともありうる。)
2024/11/16
再生不可CDの受付開始 文藝天国のMusic Film「破壊的価値創造」にて主演をつとめた soan がボーカリストをつとめ、楽曲タイトルをそのままユニット名にした破壊的価値創造の1stアルバム『forced landing』が〈bungei records〉よりリリース。 「不時着」を意味するアルバムタイトルは、”思わぬタイミングで予定にない場所に降り立つこと”を”この星に生まれ落ちること”になぞらえてつけられた。 月面着陸さながら、まっさらな地面に旗を立てるという行為は、本来は領地を自分のものだと宣言する意味があるが、何の国旗も描かれていない真っ白な旗を地球に立てsoan が佇むこのアートワークは、他人には何の意味も為さずとも、自分にとって世界は自分のものであるという表現である。そして、「白旗を掲げる」の文字通りの意味でもある。この世界では、あらゆる苦しみや不条理から完全には逃れられない。そんな場所に生まれた時点で負けているが、地に足を着け白旗を掲げることが、不時着で始まった自分の人生を、操縦して生きていく唯一の方法ではないかと問いかけている。 オンラインショップでは、再生不可CDの受付も開始された。 破壊的価値創造 – forced landing Label : bungei records Release date : Novembver 16 2024 Distributed by NexTone Marketing & PR: ArtLed Stream : https://nex-tone.link/soan1AL Tracklist M1. forced landing M2. last flight M3. qualia M4. uka M5. OSC M6. tattoo [オンラインショップ] CD ROM ”forced landing” 販売 https://soan.official.ec/ 収録物 ・lyric data ・jacket photo ・jacket photo RAW data ・chord score (all tracks) ・stem data (last flight (Vo. Gt. Ba. Dr. SE)) 注意 ・CDオーディオプレイヤーでは絶対に再生しないでください。内容物はデータCDです。CDドライブでデータの読み取りを行なってください。 ・stem dataは、許諾不要でリミックス等にご使用いただけます。また、非商用利用でのみインターネットへのアップロードも可能です。その他のデータは許可なくインターネット上にアップロードすることを禁じます。
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