2018/06/18
イベントスペース+ギャラリー+バー「TWLV」。
2010年前後、東京ではCuz Me Painというインディーのレーベル・コミュニティが存在していた。海外のインディーシーンと同じ方向を向いて、同じ水準の楽曲をレコードやカセットでリリースしていたアーティスト発の東京のレーベルはその当時は他になかったはずだ。とまぁ、、Cuz Me Painの活動や歴史に関しては語ることが多過ぎるので、いずれAVYSS的に良い形でCuz Me Painの企画を行うことにします。今回はCuz Me Pain発足メンバーの1人であるTSKKA(ツッカ)こと塚野目圭輔が、地元札幌でイベントスペース+ギャラリー+バーの「TWLV」をオープンさせたので、お店についてメールインタビューを行った。
– ツッカさん、お久しぶりです。早速ですが、TWLVの立ち上げの流れを教えてください。
塚野目 – 2012年に東京から札幌に戻ってきてからは、仕事しながらバンド・DJをやったりイベントのオーガナイズもしてたんですが、2015年くらいにこういった店舗モデルがあるのを知って、だんだん気になり始めて。 以前からカルチャーに関わる何かで仕事に出来ればっていう気持ちもあったんで、 そこから決心をして事業計画を練りながら、資金を貯めて、物件を探し始めました。 で、3年かけて無事に丁度良い物件も見つかり融資も降りたんで、2ヶ月前の2018年4月にオープン出来ました。
– TWLVって名前はどのような意味があるんですか?
塚野目 – twelveをギュッと縮めた造語です。意味は特になく数字にしたかったので、自分の誕生月(12月)から選んだんですよね。 読み方はトゥエルヴです。 文字に起こした時の並びと、言葉に発した時の語感が気に入って決めました。
– 数年前、東京で自身もアーティストとして、バンドのAAPSやソロで活動していましたが、あの頃を振りかえってみてどうですか?札幌に戻って音楽との向き合い方は変わりました?
塚野目 – あの時は海外から常に新しく刺激的なカルチャーのトレンドが生まれて、それを必死に追いかけながら服やレコードを買ったり、作る曲や自分のスタイルに落とし込んでました。それがとにかく楽しかったと思います。自分が知らないだけかもしれませんが、以前に比べ現在はあまり夢中になるモノが少なくて、レコードも買う頻度は減っていて、spotifyが便利なので、お店のBGMも含め良く使ってます。
– ツッカさんから見た札幌のシーンは率直にどう感じますか?
塚野目 – 日本って海外から流れてきたトレンドをまず東京がキャッチして、それから地方っていう順番でカルチャーやシーンって流れてると思うんですよ。なので前述したように海外が盛り上がってないと、地方も盛り上がるのは難しいのかなって。もちろんネットが発達したこともあるので、自分が札幌で活動していた20代のときより、海外のインディーシーンに影響を受けたバンドやアーティストがたくさんいたりして、面白いと思います。YOU SAID SOMTHING、The Cynical Store、GOTOUとか。TWLVを通じてなにかサポート出来れば嬉しいですね。
– ところで、最近何聴いてるんですか?
塚野目 – Délicieuse Musiqueというフランスのメディアに好きなのが多くてDJやBGM用で掘る時はそこで探したり、あとはDavid Dean Burkhartさんがおすすめする音楽を聴いてますが、曲単位で聴いてる感じで、特定のアーティスト・レーベルが好きっていうのはここしばらくない気がします。それ以外はメジャー・インディー・国内・海外問わず、気になったものをチェックしてます。
– 今後のTWLVはどういった展開をしていきたいですか?
塚野目 – まずはオルタナティブスペースとして、ライブパフォーマンスやアートギャラリー等の機会をどんどん増やしていきたいのと、札幌国際芸術祭も数年に一度開催があるので、それにもなにかお手伝いしたいです。とにかく札幌のカルチャーが少しでも成長出来るように、お役に立てれば嬉しいので、ここでなにかをやりたいと思ってくれる人が増えれば本望です!
– ありがとうございます。また遊びに行きますね。
category:FEATURE
tags:AAPS / Cuz Me Pain / TWLV / 塚野目圭輔
2018/11/28
Cuz Me Pain以降、変化したものと、まだ変わらないもの。 Mac Demarcoがデビュー以来、今でも在籍しているレーベルであるCaptured Tracksが設立されたのが2008年。だいたい2008年くらいからUSインディはアーティストやバンドが急増して、隆盛期を迎えたような記憶がある。そして当時の日本にも、海外のインディシーンと同調していたアーティストやシーンが一部存在していた。それはJesse RuinsやThe Beautyを含むCuz Me Pain周辺、京都のHotel Mexico、möscow çlub、Teen Runnings、SUPER VHS、Elen Never Sleepsなどといったバンド/アーティストである。その後、文脈は幾重にも別れていくが、例えば大阪のWallflowerやJuvenile Juvenile、さらにYkiki Beat、DYGL、Cairophenomenons、そしてLSTNGTといったところまで繋がる。もちろん色んな見方はあるが当事者としては、そう捉えている。2009年、2010年頃から我々はレーベル/イベントとしてCuz Me Painを運営し、特に知識がないまま手探りでレコードやカセットを自主制作し始めた。流通も自分達で行った。確か一度ディスクユニオンに手伝ってもらったが、結局その後も自分達でやっていた。自分達の音楽はよく海外メディアには取り上げられていた。ただ日本の音楽業界の大人達には一部を除いてほとんど伝わってなかったようだ。そして月日が経ち、じょじょに音楽性も離れていき、まぁよくある感じでCuz Me Painは自然に終了する。今回はCuz Me Painの中心メンバーだったYYOKKE(White Wear、ex. Faron Square)、ODA(The Beauty、Atlas Young、ex. Faron Square)、YUUKI(ex. AAPS、ex. Faron Square)に、The Beautyのライブでドラムを担当していたKOUTAを合わせた4人の現在のバンドWOOMANにインタビューを行った。当時の彼らを知っている人からすれば、少し意外な展開かもしれないが、WOOMANのシングルとアルバムがKiliKiliVillaからリリースされる。(その話をメインに展開しようと思ったが、気づいたら話が長くなってしまい、最後に取ってつけたようにリリースの話をしている。)今、彼らはどんな考えでもってWOOMANをやっているのか。 YYOKKE – 何からいきましょ。 – そうね。インタビューっぽく最初は結成の…。 ODA – 結成秘話? – 秘話じゃなくていいよ。経緯から聞かせてください。 YYOKKE – 2014年末にナオヒロさん(Solitude Solutionsファウンダー)のパーティーでライブをやるために、名前を変えてWOOMANになったんだけど、紐解いていくと、その前身がThe Beautyになるわけですね。で、Cuz Me Pain…。てか、これ結構いろいろ説明が必要ですよね、Cuz Me Painの話ってなると。 – WOOMANを語るには、結構前のことから話さないとね。 YYOKKE – 俺はJesse Ruinsからの脱退もあるし。サクマ君(CVN)から「あなたはあなたの音楽をやりなさい」って言われて、「はい。」って言って俺は辞めた(笑) ODA – 肩叩かれたやつやろ。 YYOKKE – で、その時に空いた時間で練っていたアイデアがWOOMANやった。 – じゃあ肩叩いて結果よかったのかも。 YUUKI – The Beauty終わって、ヨッケはソロのWhite
2018/06/28
DJ Soybeansが突然始めた朝飯屋『朝亭おそい』とは。 場所は代官山と中目黒の間。昼以降はチリドッグのお店『CHILITA』になる。 DJ Soybeansは都内で活動するDJである。都内のアンダーグラウンドにおいて、シーンの垣根なく謎に顔が広い、そしてよく現場を知っているDJだ。彼は今年の頭までは恵比寿の某ライブハウス/クラブであらゆるシーンやアーティストを繋ぐハブとして活躍していたが、突然退職し、中目黒のチリドッグのお店『CHILITA』の営業していない午前中に朝飯屋『朝亭おそい』をオープンさせた。お店について彼にメールインタビューを行い、実際に食べに行ってみた。 – 恵比寿の某ライブハウスから朝亭おそいをオープンさせるまでの経緯を教えてください。 DJ Soybeans – やはりライブハウスという事もあり朝から晩までなので結構辛くて(笑) その仕事の合間に夜のDJが3日くらい重なった事があって、あぁ、、このままだと死んじゃうな、、と思い辞める事を決意しました。 今の政権に凄く辟易してるし自分でなんとか稼げないかな?と考えてたときにCHILITA(2 MUCH CREWのFUCK MASTA FUCKが店主のホットドッグやキューバンサンドをつまみに呑めるバー)の店主から朝やっちゃいなよと言われて、やります!と。(笑) – お店の名前の由来を教えてください。 DJ Soybeans – DJの名義にSOYBEANSが入っているので、よくソイビ、ソイさん、おソイなんて言われてたのでソイは入れたくて、朝亭なのにおそい(遅い) というのは洒落が効いてるなと思って、です。 – どういうお客さんが来ますか? DJ Soybeans – 近所で銀紋という最高の居酒屋があるんですがそこで働いてるテキサコレザーマンのオオサマは徹夜明けに朝飲みしに来ますね。(笑) 基本的にはやはり夜のクラブで知り合った友達が多いです。中々入りづらいお店だと思うので知らない方にも是非入って頂きたいですね。 – オススメのメニューはありますか? DJ Soybeans – やはり自家製のベーコンは是非食べて欲しいですね!あとは出汁巻きもおススメです。 基本的には材料に変なものは使わない様に気を付けてます。 味噌汁の味噌は伊勢から仕入れてますし醤油は山口から送ってもらってます。甘い醤油なのでベーコンにかけると味変も楽しめますよ。あとは暑くなってきたので冷や汁もメニューに追加する予定です。 ベーコン肉じゃがプレート(900円) – 今後はどのように展開していきたいですか? DJ Soybeans – 自分が知らない方にも多く来て頂きたいのでタマゴサンドのテイクアウトから知って貰おうと思ってます。そういう方がお店に入って自分の元々の知り合いと出会ったりするのも面白いんじゃないかな?って考えてます。 まずは続ける事だと思っていますので潰れない様に皆さま、応援宜しくお願い致します! タマゴサンド(1個250円) <DJスケジュール> 6/29 (fri) M.P.C(Miami Panama Colombia) at ラジシャン OPEN:18:30 ENTRANCE:¥2000(w1D) DJ SOYBEANS 1TA Kazuyoshi ピーチ岩崎 6/30 (sat) LEFT BEHIND CLUB at bonobo OPEN:23:00 ENTRANCE:¥1500-1drink DJ: Wata Igarashi AKIRAM EN LIL MOFO Arisa Shirota LIVE: KOPY FRONT BAR: SKEEMA vs 朝亭おそい
2018/06/07
愛知県は岡崎市にあるイベントスペース、ひかりのラウンジ。未だ謎に包まれた電子音楽シーンの新たな聖地の過去と今をオーナー神谷氏と共に振り返る。 現在日本のエレクトロニック、エクスペリメンタルの地下シーンにおいて全国から注目を浴びているイベントスペースが、東京でも大阪でもなく、名古屋でもなく、岡崎という街に存在する。そのハコの名前は「ひかりのラウンジ」。他の地方中核都市と同じように夜になると周りのほとんどのお店は早い時間に閉店し、人通りも少なくなる中で、ひかりのラウンジの扉の向かうからはエッジの効いた電子音が漏れている。静まり返った街と漏れるドープな音のギャップが生み出す神秘的な風景はこの店に来ないと味わえない。去年行われたスペインのレーベルangoisseのジャパンショーケースツアー、今年に入ってからはJesse Osborne-Lanthier、Ptwiggs、CÉCIの合同来日公演、Orange Milkジャパンショーケースツアーなど海外アーティストの公演も増えており、シーンにおいて存在感をさらに増す一方で、愛知県外の人が気軽に足を運べる場所ではないために未だ桃源郷的イメージがあるのも事実である。今回はオーナーの神谷大介氏に話を聞き、ひかりのラウンジの歴史や現状のリアルな話を聞いてみた。 – ひかりのラウンジを前のオーナーから引き継いだって話をちらっと聞いたんですが、具体的に経緯を聞かせてください。 神谷 – 2012年の11月にここに面接に来たんです。当時、隣のラグスローとひかりのラウンジと上のクワイエットヴィレッジと豊田にドープラウンジってのもあって、1ヶ月ぐらいドープラウンジで働いてたんです。 – その4つの店は同じ系列なんですか? 神谷 – そうなんです。前のオーナーがやってまして。で、正月にラグスローの人がいなくなって、それで応援でこっちに入るようになりまして。そっからどんどん人が減っていって、、僕入れて3人ぐらいしか残ってない状態になっちゃって。多い時は7人ぐらいいたんですけど、だんだん店がまわらなくなってきたりして、それで2013年の春にある事情で経営を見直す会議があったんですね。僕は元々、ここで修行して独立するために入ったので、まぁこの店なくすんだったらお客さんもいるし、設備全部整っているし、自分のやりたいことだったんで、じゃあ買い取りますって感じで前のオーナーから店を買い取ったんです。で、新たにスタートしたのが2013年の6月ですね。 – そんなことがあったんですか。最初から独立したい気持ちはあったんですね。 神谷 – 固定収入を得つつ、でその利益を自分のやりたいことに使って、遊べて、っていうサイクルができたら理想かなと。 – 今、別の仕事は何かやってるんですか? 神谷 – 今はやってないです。ひかりのラウンジだけですね。お金ないときは派遣とかいきますけど。まぁこっちに集中しようかなと。当初は、ひかりのラウンジとラグスローを合わせて買い取ったんです。で、基本僕カフェ(ラグスロー)に入って調理してて、イベントあるときはこっち入ってみたいな感じでした。 – 2013年からってことは思ったより歴史ありますね。もっと最近始まったかと思ってました。 神谷 – 前のオーナー時代からだと正式に始まったのは2008年か2009年くらいからだったかな。GrassrootsのHikaruさんと仲良いような感じでした。岡崎にしては名のある人たちがすごい来てるお店だったんで、それで興味持って修行しようかなと。 – で、今に至ると。ここの利用者って基本は音楽イベントですか? 神谷 – そうですね、たまに仮装大会とか。 – 仮装大会? 神谷 – ハロウィンとか。で、ここで会社のイベントやるんですよ。アイシンとか一流企業のイベントとか、美容師のイベントとか、ですね。 – どのぐらいのペースでイベントがあるんですか? 神谷 – 週に最低1回はやってるんですけど、平均1.5とか、そんなもんですね。 – 前にEDMのイベントだと100人もお客さんが入るって聞いたんですが。 神谷 – 入りますね。NEXUSというパーティーなんですが、最高132人ぐらいがマックスですね。 – そのお客さんってみんな岡崎の人なんでしょうか? 神谷 – どうですかね〜。でも主宰の人は岡崎の人で、出演しているDJも三河の人(岡崎周辺の豊田、刈谷、安城など)がほとんどなので、そのあたりの人たちがほとんどなのかなと思います。 あのイベントはすごいですよ‥。 – いずれ、神谷さんが作ってるような音楽が主体にしたいと思ってたりするんですか? 神谷 – 偏りたくはないなというか、自分の好きなものは自分でやれば良いわけで、むしろ自分の知らない世界や音楽を知りたいというか、EDMはEDMのイベントで面白いところはあるし、サイケのイベントとか、パーティーによってそれぞれ面白い部分や学ぶべき点は多々あるんで、ありがたい環境だと思いますし、まぁ来るもの拒まずというか、そんな感じでやっていきたいですね。 – ひかりのラウンジの週1.5ほどのイベントだけで生活やっていけるんですか? 神谷 – いや、できないですね。 – え。 神谷 – 全然できないですよ。 – どうやってそれをカバーされてるんですか? 神谷 – いや、もう節約して、お金なくなったら派遣っていう。機材売ったり。(笑) – お子さんいるじゃないですか。何才でしたっけ? 神谷 – 10才です。 – 音楽聴くんですか? 神谷 – めちゃくちゃ好きですよ。耳コピも俺なんかより遥かに正確にしますし。キーボード習ってるんですよ。 – 神谷さんの音楽を聴かせたことはあるんですか? 神谷 – ありますよ。0点って言ってます(笑)アドバイスとして、高い音と低い音をバランスよく入れるといいよって言われました。 –
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